言挙げよ、おお人々よ!汝等白身を神の恩恵や慈悲から差し控えるな。白らをそれより差し控える者は実に痛ましい損失をしている者である。おお人々よ、汝等はちりを崇拝し、汝等の主なる恩寵(おんちょう)深 き御方、全てに寛人なる御方より顔をそむけるつもりなのか?神を怖れよ。そして滅びる者の仲間になるな。言挙げよ。神の書はこの若者の姿で下された。それ 故に、最も卓越した創造者なる神にほまれあれ!おお世の人々よ、彼の顔より逃げ去らない様に十分注意せよ。いや、それ所か、彼の面前に達するために急ぎ、 彼に戻る者の仲間であれ。おお人々よ、汝の神に対する義務のし損じと、神の大業に対しての罪が許される様に祈り、愚か者の仲間に入るな。汝等を創造し給う たのは神である。神の大業により汝等の魂を育成し、全能者、最も高遠なるもの、全知者なる神を認めさせ給うたのは神である。神の知識の宝物を汝等の眼にあ きらかにし、神の抵抗し難い、諭ばくし得ない、最も高遠なる信教の確信の天国にのぼらせ給うたのは神である。神の恩恵を失ったり、汝等の仕事を無に帰した りしない様に気を付け、この最も明白な、この高貴な、この輝かしい、栄光に満ちた啓示の真理を否認するな。汝等の創造主なる神の大業を公正に判断し、いと 高き王座より下された事を見て、潔白な、聖別された心でそれについて冥想(めいそう)せよ。その時、この大業の真理は真昼の栄光に輝やく太陽の様に明白になるであろう。そして、汝等は神を信じる者になるであろう。
言挙げよ。彼の真実性を立証する第一、最大の証拠は彼自身である。こ の証拠の次に来るものは彼の啓示である。この第一の、又は第二の証拠を認めることが出来ない者のために彼は彼の明かした言葉を彼の真実性と真理の証拠とし て定め給うた。これこそまことに彼の人々に対するやさしき慈悲の証拠である。彼はあらゆる人々の魂に神のしるしを認め得る能力を与え給うた。そうでなけれ ばいかにして彼は、彼の証言を人々に証明し得たであろうか?もし汝等が心の中で彼の大業について熟考する者であれば。彼は誰と云えども、決して不正に取 扱ったり、誰の魂にもその能力以上の事を課したりはされない。彼はまことに燐き深き御方、すべてに慈斐深き御方である。
言挙げよ。盲目の人でさえもそれを知覚し得るほどに神の大業の栄光は非常に偉大である。ましてや、視力が鋭敏で、視野が純粋な者にとってはどれ程そうであろうか。盲目の人は太陽の光を知覚し得ないけれども、その絶える事のない熱を感じ取り得る。しかし乍(なが)ら、バヤンの人々の中で、心の盲目な者等はいかに長い間太陽に照らされてもその栄光の輝きを知覚する事にも、その光線の暖みを感知する事にも無力である―このことについては神がわが証人であり給う。
言 挙げよ。おおバヤンの人々よ!我は汝等が我自身を知り認める様にこの世の中で汝等を選んだ。そして我は、不滅の火焙が種々の語調で「いと力強き者、最も高 遠なる者たる我の他に神はない」と叫ぶ地点、即ち楽園の右側に汝等を引き寄せた。汝等の主であるすべてに慈悲深き御方の御意のあけぼのに輝き、その光は小 なるもの偉大なるものも共に取巻くこの昼の星を、汝等自身からヴェールの様なもので遮閉しない様に留意せよ。汝等自身の眼でその栄光を知覚することができ るように汝等白身の視力を清めよ。また汝等自身以外の視力には頼るな。何故なら、神は誰の魂にもその能力以上の重荷を決して負わせ給う事はないからであ る。この様に以前の予言者と使者に下され、そしてすべての聖典に記録されて来た。おお人々よ、この広大な無限の空間に入る許しを得る様に努力せよ。その空 間に神は始めも終りも定め給わなかった。その中で彼の声があげられ、その上に神聖と栄光の甘美な芳香が漂よった。汝等自身より壮麗なる衣を失わず、汝等の 心より汝の主を想起する恩恵を奪われず、汝等の耳より彼の驚くべき、荘厳(そうげん)で、すべてを動かさずにはおかない、明白な、そして最も雄弁な声の甘美なメロディを傾聴する恩恵を失わせるな。○52
(54) LIV我 が最愛なる神の正義にかけて誓う。我は決して世俗の主権を求めたことはない。我が唯一の目的はここにある。つまり、御恩寵にあふれ、比類なき神が我に伝え るよう命じ給うことを人々に告げることである。それにより、人は世俗に係わるすべてのものを超越し、不信心な者が理解することも、不従順な者が想像するこ ともできないほどの高みにまで達することができよう。(54)
(60) LX我が幽閉(ゆうへい)は 我を何ら辱(はずか)しめ得るものではない。我が命にかげて言う。否、むしろそれは我に栄光を授けるものである。我を辱しめ得るものは、我を愛すると告白 しながらも、実際は邪悪な者に追従する我が信徒等の行為である。まことに、彼等は滅びる者等に属する。この啓示の定められた時刻が満ちた時、世界の昼の星 である者がイラクの地に出現した。そして彼は信徒等に対し、世俗のあらゆる汚れから自らを清めるものを厳守するよう命じた。あるものは、堕落した心の欲望 に従うことを選んだ。一方、他のものは正義と真理の街道を歩み、正しく導かれた。言挙げよ。世俗の欲望に従い、または、地上の事物に心うばわれた者はバハ の人々の内には数えられない。我が真の信徒とは、黄金の谷をも雲のごとく超然として通過し、振り向くことも、立ち止まることもない者である、このような者 が、正に我に属する者である。天上の軍勢は、かような者の衣より高潔さの芳香を匂ぐことができよう……。そして、たとえ最も美しく、見目うるわしい女性に 会ったとしても、彼の心にはその美を欲する影ほどの誘惑もおこらないであろう。かような者こそが純潔無垢な存在である。日の老いたる者のペンは、全能にし て、恩寵あふれる汝等の主に命じられて、かくあるようにと汝等に指示するのである。(60)
(61) LXI世 は苦しみの中にあり、その動揺は日毎に強まりつつある。その顔は強情と不信心に向っている。その状態は実にあわれなものになり、現在それを暴露することは 相応しくないほどである。その強情は長く続くであろう。そして定められた時刻が来れば、突然、人類の四しを震感させる様な事が現れるであろう。それからは じめて神の旗はひるがえり、楽園のうぐいすはそのメロディーをさえずるであろう。○61
(62) LXII我 が味わった悲しみや、我が深憂(しんゆう)と心痛、我にふりかかった災難と試練を回想せよ。また、我が幽閉(ゆうへい)の有り様、我の流した涙、我が苦悶 の苦さ、そして今やこの遠隔の地における我が投獄を汝の心に想起せよ。おお、モスタファよ、神こそ我が証人なり。もし汝が、古来(注)の美にふりかかって 来たことについて知らされていれば、汝は広野に逃げ、そこで大いに涙したに違いない。悲しみのあまり、汝は自らの頭を打ち、あたかも毒蛇にかまれた者のよ うに泣き叫んだであろう。しかし、全能にして、最も力強き汝の主の御心の天上より我に下された測りがたい定めの秘密を、汝に知らせることを我は拒んだので ある。このことを神に感謝せよ。神の正義にかけて我は言う。毎朝、床を立っとき、我は扉の外に群がる無数の苦難の軍勢を見た。そして毎タ、床に戻るとき、 見よ、我が心は敵の悪魔のような残虐行為による苦悶に裂かれていた。古来の美が口に運ぶ食べ物の一片一片には、新たな苦しみの猛攻が添えられていた。ま た、彼の喉を通る一滴一滴の水には最も悲痛な試練の苦味が混入されていた。彼が一歩踏み出すごとに、そこには予期し得ない災難の軍勢が待ち受けていた。そ して後方からは、苦悶の悲しみが徒党を組んで彼を追った。これが我が状態である。汝、このことを心の中で熟考せよ。しかし、神が我が身の上に注ぎ給うたこ とで、汝の心を痛めてはならない。汝の意志を神の御心に没入させよ。何となれば、我はいかなる時も、神の意志以外のなにものをも望んだことはなく、神の変 わることなき定めのすべてを喜んで迎えたのである。汝の心を忍耐強く持ち、うろたえてはならない。心を痛く乱された者等の道を歩むな。(62)
(注)バハオラの称号おお汝、面(おもて)を 我に向けた者よ。我が故郷の都市(テヘラン)の姿がはるかに見えた時、そこに立ち止まり、次のように告げよ。おお、ターの地(テヘラン)よ。危急の場の救 助者に在し、御自力にて存在し給う神よりの音信をたずさえて、我はかの牢獄より汝の下へと来た。おお、世界の母よ。おお、全人類を照らす光の泉よ。汝の主 の情あふれる慈愛を、我は汝に告げる。また、永遠の真理に在し、見えざるものを知り給う御方の名において、我は汝に挨拶を述べる。そして、我はここに証言 する。隠された御名なる者は、汝のその地において出現し、見えざる宝物はその地において現わされた。万物の秘密は、それが過去のものであれ、未来のもので あれ、すべて汝を通して明かされたのである。おお、ターの地よ。諸々の名の主なる者は栄光に満ちた地位にあって、汝に思いを巡らせた。汝は神の大業の曙 (あけぼの)であり、その啓示の源泉であった。そして、汝は神の最も偉大なる名の現われであった。その名こそは、人類の心と魂を震わせた名である。汝の境 内において、何とおびただしい数の男女が神の道に命をささげ、圧制の犠牲となり、あまりにも惨く汝の土の下に葬られて行ったことか。その情景は、神の栄誉 ある僕等のすべてを嘆き悲しめるものであった。(63)
(70) LXX世の中の平衡状態は、この最も偉大な、この新しい世界秩序の震えんばかりの影響力によってくつがえされたのである。人類の整然とした生活は、人間の眼がこれまでに決して見たことのない、このふたつとない素晴らしい制度の力によって大改革されたのである。
汝 等がその秘密を解き、深い所に隠されている知恵の真珠を残らず発見できるように、わが言葉の大洋に身を沈めよ。神の威力の可能性を示し、神の主権を確立し たこの大業の真実を奉じる汝等の決意にぐらつきがないよう注意せよ。喜びに輝やく顔をもって、汝等、神の下に急げ。これこそは過去においても、未来におい ても、神の永遠にして不変の教えである。求める者には、それが得られんことを。また、それを求めることを拒む者については、誠に神は創造物を必要とするこ とを全く超越し、白ら満ち足り給う者である。
言 挙げよ、これこそが神の御手に握られた誤りのない秤である。天上地上のすべてのものはこの秤にかけられ、その運命が決定されるのである。お、汝等この真理 を認め、信ずる者ならば。言挙げよ。これにより貧しい者は富み、学識者は啓発され、また探求者は神の御前に上ることができたのである。汝等、これを自分達 の間の不和の原因にせぬよう注意せよ。強大にして慈愛深き主の大業の中にあって、不動の山のようにしっかりと定住せよ。○70
(71) LXXIお お世の人々よ。我が美の昼の星が沈み、我が幕屋の天界が汝等の目から隠される時、落胆してはならない。我が大業を促進し、我が言葉を人々の間に高めるため に立ち上がれ。我は常に汝等と共にあり、真理の力で汝等を強めるであろう。我は真に全能である。我を認める者は皆、天と地のいかなる勢力もその行く手を阻 むことのできないほどの強い決意をもって立ち上がり、我に仕えるであろう。世の人々は深い眠りにある。その眠りから目覚めれば、彼等は全知にして、聡明な る神の下へと一心に急ぐであろう。主が彼等のことを心に留め、わずか二言でも主に言葉を掛けてもらえるならば、彼等は地上のすべての財宝を所有していたと しても、それらを一切なげうつであろう。隠されたる諸事の知識を有する者は、かくして汝等に訓示する。彼はその知識を、創造物の目には触れることのない書 簡に納めた。そしてその書簡は、諸々の世の全能なる加護者である彼以外の何者にも明かされることはない。邪悪な欲望に酔いしれるあまり、人々は非常な困惑 に陥っている。そのためもはや彼等は、「我をおいて神はなく、我は強大にして、聡明なる者なり」と声高らかに四方より呼び掛ける万物の主を認めることがで きないのである。言挙げよ。汝の所有物を汝の喜びとしてはならない。それらは、今宵、汝が所有していようとも、明日には他人のものとなる。すべてを知り、 すべてに精通した者が汝等にこう注意するのである。言挙げよ。汝の所有物が確かなものであり、永続するものであると断言できようか。否、最も慈悲深き我自 身にかけて言う。汝の生涯の日々は一陣の風のごとく過ぎ去り、汝の誇る華美や栄華は、先立った者等の華美や栄華と同様に崩れ去るのである。熟考せよ、おお 人々よ。汝等の過ぎし日々と、失われた幾百年もの時の流れはどうなったのか。神の思いに捧げた日々は喜びの日々であり、聡明なる御方の賛美に過ごした時 は、祝福された時である。我が命にかけて誓う。権力者の栄華も、富豪の富も、また、不信心者の優勢さえも持続するものではない。神の一言でそれらはすべて 消滅する。まことに神は御力に満ち、全能にして、すべてを屈服させ給う御方である。人々の所有するこの世のものに何の利益があろうか、彼等は自分達の真の 利益となるものを全く無視している。そのうち彼等は眠りから覚め、全能にして、すべてに賛美される彼等の主の日々に逃したものは、もはや取り戻せないこと を知らされよう。このことを悟っていたならば、神の玉座の前に彼等の名が語られるためには、彼等は自らのすべてを放棄していたであろう。まことに、彼等は 死者の内に数えられる。(71)
(72) LXXIIお お、人々よ。我が存在の栄光が退き、我が言葉の大海原が静まる時、心を乱されてはならない。我が汝等と共にあることには道理があり、我が不在にもまた逢っ た所以(ゆえん)がある。比類なき者、全知者なる神以外は誰もそれを知り得ない。まことに我は我が栄光の王国より汝等を見守り、我が大業の勝利のために立 ち上がる者には誰であれ、天上の軍勢と、我が愛する天使の一団をもって援助の手を差し伸べるであろう。おお、地上の人々よ。永遠の真理に在す神こそ我が証 人なり。何ら束縛されぬ汝等の主の語った甘美なる言葉により、岩の中からも静かに流れる清水が湧き出たのである。にもかかわらず、汝等は今もなお眠りにあ る。財物を投げ捨て、世俗超脱の翼に乗り、すべての創造物を超えて高く舞い上がれ。そのペンの動きにより全人類の魂に大変革をもたらした創造の主は、汝等 にこう命じるのである。栄光に満ち給う汝等の主が、どれほど高遠な所から呼び掛けているかを、汝等は承知しているのであろうか。諸々の名の主である汝等の 主が、汝等に命令するに用いたペンを、汝等は正しく認識したと想像しているであろうが。我が命に誓って言う、決してそうではない。もしこのことを理解して いたならば、汝等はこの世のものを捨て、最愛なる者の御前へと一心に急いだであろう。そして、最愛なる者の言葉に魅せられ、汝等の魂は喜びに恍惚(こうこ つ)となったであろう。その喜びは、全宇宙をも激動させるほどのものであり得たのである。とすれば、この狭く、取るに足りない世界にあっては、どれほどの 激動が起こったであろうか。このようにして我が恵沢の天水は、我が慈愛の天上より注がれたのである。これこそは我が恩寵の証しである。されば汝等、感謝す る者であれ。肉体の欲望と、堕落した心の抱く欲望とによって、汝等の間に分裂が生じることのないよう注意せよ。汝等、一つ手の指のごとく、また、一つ身体 の器官のごとくあれ。啓示のペンは、かくして汝等に勧告するのである。おお、汝等、信じる者ならば。(72)
(74) LXXIV神 の慈悲と賜物について熟考せよ。神はいかなる被造物をも必要としない。にもかかわらず、神は汝等に対し、汝等を利することを命じ給う。汝等の悪行は決して 我を害することはない。汝等の善行もまた、我を利することはない。我は全く、神のためのみに汝等に呼び掛けるのである。このことは、理解と河察力を持つす べての者が証言するところである。神の御口をもれる一つ一つの言葉は、すべての人体に新たな生命を授けるに十分な威力を有する。おお、汝等、この真理を理 解する者ならば。この世に見られる驚くべき事業のすべては、彼の最も崇高にして、至上なる意志の働きと、その確固不変たる素晴らしい目的とを通じて現わさ れたものである。御自身の属性の一つを人類に告げるために御口から「創作者」という一言が啓示されることにより、世々代々を通じて人間の手が創作し得る様 々な技巧を生み出すに十分な威力が放出されるのである。まことに、これは確かな真理である。この輝ける言葉が語られるやいなや、この言葉に備わった生気み なぎるエネルギーはすべての創造物の中で躍動を始める。そして、それによりあらゆる技巧が編み出され、完成されるための方法や手段が誕生するのである。今 日、汝等が目のあたりにしている多くの驚くべき成果はすべて、この名称の啓示の直接的結果なのである。来るべき将来、まことに汝等は今だかつて聞いたこの もないことを目撃するであろう。神の書簡にはこのように定められており、洞察力の優れた者以外は、誰もこのことを理解し得ないのである。同様に、我が属性 の一つである「全知者」を表わす言葉が我が口より発するやいなや、すべての創造物は、その能力と限界に応じて、科学の知識を解き明かす最も素晴らしい力を 付与される。この知識を実現させる能力も、時の経過と共に、全能にして、全知なる彼の命により付与されよう。他にも、あらゆる名称が啓示される時、それに 伴って同じような聖なる力が放出されるのである。このことを確信せよ。神の御口をもれるあらゆる文字は、まことに母なる文字である。そして、神聖なる啓示 の源泉である者が語るあらゆる言葉は、母なる言葉であり、彼の書簡は母なる書簡である。この真理を理解する者は幸いなり。(74)
(77) LXXVIIさ て、人間の創造に関する汝の質問について。人は皆、庇護者に在し、御自カにて存在し給う神によって築かれた性質をもって創造されたことを知れ。そして、神 の保護された、威カあふれる書簡に定め記されたところに従い、各人に対しては前もって決められた分量が与えられている。しかし、汝が潜在的に有するものは すべて、汝自身の意志の働きを通じてのみ実現される。汝自身の行動がこの真理を証明している。例えば、バヤンの書に記された禁法について考えてみよ。神は その書の中で、御自身の命に従い、御心に召すままに合法なるものを規定し給うた、同様に、御主権の威力を介し、神は選び給うままに禁法を定め給うた。バヤ ンの書の聖句がこのことを証言している。汝もまたこのことを証言するに違いない。しかし、人は故意に神の法を破る。とすれば、その行為の責任を神に帰する ことができるのであろうか、それとも、その責任は法を犯した本人にあるのであろうか。公正な判断をせよ。善きものはすべて神に属し、悪しきものはすべて汝 自身から出たものである。汝にはこのことが悟れないのであろうか。この同じ真理はあらゆる聖典に啓示されている。おお、汝、このことが理解できる者なら ば。神にとって、汝が心に描く行為はすべて、その行為がすでに果たされた時と同様に明白である。神をおいて他に神はなく、森羅万象(すしんらばんしょう) とその統冶は神と共にある。神の御前において万事は明白であり、すべては神の聖なる隠された書簡に記録されている。しかし、神のこの先見を、人の行動の原 因とみなしてはならない。それはあたかも、汝がある出来事を予知していたり、それが起こることを望んでいたりしても、そのこと自体が決してその出来事の原 因となり得ないのと同様である。(77)
(79) LXXIX神 の諸々の世界に関する汝の質問について。神の世は無数にあり、その範囲は無限であるという事実を知れ。すべてを知り、すべてに聡明なる神以外に、これらの 世界を計り知る者も、理解し得る者もない。睡眠中の汝の状態について考えてみよ。まことに我は告ぐ。睡眠の現象は、人の世における神の最も神秘なしるしで ある。おお、このことを人々が心の中で熟考するならば。見よ、汝が夢の中で見たことが、年月を経て完全に実現されることを。夢の中の世界が汝のいま住む世 界と同一であれば、夢の中の出来事は同じ瞬間にこの世においても起こっていなければならない。同時の出来事であれば、汝自身がそのことを証言していたであ ろう。しかし事実はそれと異なる。従って必然的に、汝の住む世界は汝が夢の中で経験する世界とは異なり、別のものである。後者には始まりも終わりもない。 この夢の中の世界は、栄光に満ちた全能なる神の定め給う通り、汝自身の内にあり、汝の内に包まれている、ともし汝が主張するならば、それは真実と一致す る。また、汝の精神は睡眠の限界を超え、地上のあらゆる執着を脱ぎ捨てて、この世の最も内奥の真髄の中に隠された領土を神の成せる業により横切ったと主張 しても、それもまた同様に真実である。まことに我は告ぐ。神の創造は、この世界以外の多くの世界に及び、地上の創造物以外の創造物を包含する。神はこれら 各々の世界において、神以外の何者も捜し求めることのできないものを定め置き給うた。神こそは、すべてを探索し、すべてに賢き御方である。汝の主であり、 諸々の世の主に在す神の御目的を発見することができるよう、我がここに汝に明かしたことについて冥想せよ。これらの言葉の中には、神聖なる英知の神秘が秘 蔵されている。我はこの主題に関して詳しく論ずることを差し控えた。それは、我が言葉によって創造された者等の成す行為の結果、我は悲しみに取り巻かれて いるからである。おお、汝、我が声に耳傾ける者ならば。(79)
(80) LXXX神 の予言者と神に選ばれた人々は別として、人は肉体の死後、この世で彼の生涯を特徴ずけた個性、人格、意識及び理解を全くそのまま保持するかどうかと汝は我 に質問した。もしそうだとすれば、失神や重病の様な頭脳能力への軽い傷害が人の理解と意識を失わせるのに、どうして肉体の分解とその要素の分離を必然的に 含まなければならない死が、理解力を滅ぼし、意識を消滅させる力を持たないのかと汝は述べた。人間の存在と機能に必要な器官そのものが完全に分解する時 も、人間の意識と性格が保たれていくと誰が想像し得ようか?
人 間の魂は、肉体、又は心意のあらゆる虚弱さを越えて高遠なるものであり、独立したものである事を知れ。病人が虚弱の徴候を示すのは魂と肉体間に介在する妨 害物によるものである。と云うのは魂そのものはいかなる肉体の病気によっても影響される事はないからである。ランプの光について考えよ。外部にある物体は その光輝を妨げるかも知れないが光そのものは衰えない力で輝き続ける。同様に人間の肉体を苦しめるすべての疾病は、魂がその固有の実力と能力を顕(あら)わす事を妨げる障害物である。しかし乍(なが)ら、魂が肉体を離れる時には地上のいかなる力も匹敵し得ない程の権勢を表示し、影響力を現わす。各々すべての純粋で洗練され、聖別された魂は途方もない力を付与され、非常な喜びに喜悦するであろう。
枡(ます)の 中に隠されているランプについて考慮せよ。その光は輝いているけれどもそれは人間には隠されている。同様に雲にかくされている太陽について考えよ。実際 は、光の源泉は不変であるのにその輝きはなんと減じた様に見えるかを観察せよ。人間の魂は、この太陽に例えられるべきであり、地上の万物はその肉体である と見なされるべきである。外部の障害物がこの両者間に介在しない限り、肉体全部は魂の光を反映し続け、魂の力によって支えられるであろう。しかし乍(なが)ら、両者間にヴェールがさしはさまれるやいなや、その光の光輝は減ずる様に見えるのである。
更 に、完全に雲のかげに隠されている太陽について考えよ。地球はそれでもなおその光で照らされているが、受け取る光の程度はかなり減じられているのである。 太陽は雲が消散させられる迄その栄光を完全に輝かし得ない。雲の存在、不存在はいずれも太陽固有の光輝に影響を及ぼす事は出来ない。人間の魂は太陽であ り、肉体はそれによって照らされそれから生命を維持するものを得る。以上の様に考えられるべきである。
更に又、果実は実を結ぶ前に、いかに木の中に潜在的に存在しているかを熟考せよ。木が寸断されても果実の徴候もその少片さえも探知し得ない。しかし乍(なが)ら、それが現われる時には汝が観察した様に驚くべき美と栄光ある完全さの中に自らを顕(あら)わすのである。実際、或る果実は木から切られて後にのみ最高の発展段階に至る。○80
(81) LXXXIさ て、人間の魂とその死後の生存に関する質問について。魂は肉体より分離後、年代と世紀のめぐりもこの世の変遷と運命も変え得ない状態で神の面前に達する迄 進歩し続けると云う事実を知れ。それは神の王国、神の主権、神の統治権と威力が続く限り続くのである。それは神の諸々のしるしと神の諸々の属性を顕(あら)わし神の慈愛と恩寵(おんちょう)を あらわす。これ程高遠なる地位の崇高さと栄光を適切に述べようとする時、わがペンの動きはとどまる。慈悲の手が魂に付与する栄与はいかなる舌も適当に明か し得ず、いかなる地上の力も述べ得ない程のものである。肉体より分離の時、世の人々の空ろな想像より聖別されている魂は幸いである。その様な魂は創造主の 意志に従って生き、行動し、最も高遠なる楽園に入る。最も崇高な館の住民なる天の乙女等はその廻りをまわり、神の予言者等と、神より選ばれた人々はその魂 と交友を求めるであろう。その魂は彼等と自由に会話を交わし、あらゆる世界の主なる神の道において耐え忍ばねばならなかった事どもを彼等に物語るであろ う。いと高き所の王座と地上の主なる神の諸々の世界において、その様な魂のために定められている事を知らされれば、誰でもその全存在は、一瞬のうちにその 最も高遠で聖別された、けんらんたる地位に達したいと云う大いなる熱望で燃え立つであろう・・・。死後の魂の特質は決して叙述され得ず、又人間の眼にその 全性質を明かす事も適当でなく、許されてもいない。神の預言者達と使者等は人類を一直線の真理の道に導く目的のためにのみ下されて来た。彼等の啓示の根底 にある目的は人々が死に際して最高度の純粋さと、聖別された状態で、そして完全なる超絶をもって最も高遠なる者の王座にのぼる様にすべての人々を教育する 事である。これ等の魂が放射する光は、この世の進歩と人々の発展の原因となるものである。彼等は存在の世界を発酵させる酵母(こうぼ)の様なもので、この世の技巧や不思議が顕(あら)わされるよう活気づける力となるものである。彼等を通して雲は人々の上に恩寵(おんちょう)を 降らせ、地球はその果実を結ぶのである。万物は原因、原動力、活気のための源を必要とする。これ等の魂と超絶の象徴は、存在の世界に崇高なる運動の推進力 を供給して来たし、又、供給し続けるであろう。この世界が母親の子宮にいる子供の世界と異なる様に、彼方の世界はこの世界と異なるのである。神の面前に達 するとき、魂はその不滅性に最も適った、そして天界の住居にふさわしい姿を装う。その様な存在は因果的なものであり、絶対的なものではない。というのは、 前者は原因に先行されるものであり、後者は原因から独立したものだからである。絶対的存在は厳密に神―彼の栄光は高遠である―に限られる。この心理を理解 する者等は幸いである。心の中で神の預言者等の行為について熟考すれば、汝等は必ず、そして進んで、この世界のほかに世界があらねばならないことを証言す るであろう。諸々の時代を通して、真に賢明で学識のあるものらの大部分は、叡智(えいち)の書簡に栄光のペンで記録されている様に、聖なる神の書が明かしたことの真理を証言して来た。唯物論者さえも彼等の書の中で、これらの神より指定された使者等の叡智(えいち)を 証言し、楽園、地獄の火、未来の報酬と罰についての預言者等による言及は、人々の魂を教育し高揚とする望みに駆られたものであると見なした。それ故に、い かに人類一般は各々の信仰や意見にかかわりなく神の予言者等の卓越性を認め、優越性を容認して来たかを考慮せよ。これ等超脱の宝石は、或る者等によって叡知(えいち)の 権現として喝采され、一方他の者等によっては神自身の代弁者であると信じられた。もしこのような魂が、あらゆる神の世界はこの地上の生命に縮少されると信 じたとすれば、いかにして敵に自らをひきわたすことができるであろうか?また、誰もかつて経験したり目撃した事もない程の苦難と責苦を彼等は快く受けたで あろうか?○81
(82) LXXXII魂 の特質について汝等は我に問うた。まことに魂は神のしるしであり、天国の宝石であり、その実体は最も学識ある者等も理解し得ないものであり、その神秘はい かに鋭敏な心意も決して測り知る事を望み得ないものであると云う事を知れ。それは全創造物の中で最初にその創造主の卓越性を宣言し、最初に彼の栄光を認 め、彼の真理に愛着し彼の前で賛美をもってひれ伏すものである。もしそれが神に忠実であれば彼の光を反映し、やがて彼に戻るであろう。しかし乍(なが)ら、もしその創造主への忠誠を怠れば、自我と情欲の犠牲となり、結局はそれらの深淵に沈むであろう。
こ の日、人々の疑惑と空想によって、永遠の真理なる彼より顔をそむけさせられる事を拒否し、聖職者や世俗の権威ある者等に挑発された騒ぎによって、永遠の真 理なる彼のメッセージを認める事を妨げられなかった者、そう云う者はあらゆる人々の主なる神により彼の力強いしるしの一つとして見なされ、彼の書に最も高 遠なるペンによってその名を記録される者等のうちに数えられるであろう。その様な魂の真の発達の程度を認め、その地位を確認し、その徳を発見した者は幸い である。
昔の書に、魂の多様な発達段階に関して、例えば強欲、短気、霊感・慈悲・満足・神の思召しにかなう事、その他についてかなり書かれて来た。しかし乍(なが)ら、最も高遠なるペンはそれについてくわしく書くつもりはない。この日、神と謙虚に歩み、彼に愛着するすべての魂は、あらゆる立派な名と地位の栄与と栄光を授けられる自分を見出すであろう。
睡 眠中、人の魂は外部の物体によって本質的に影響されるものではない。その本来の状態又は特性に於いてはいかなる変化も受ける事はない。その機能に於ける変 化はすべて外部的原因に帰せられる。その環境、理解カ、感知に於ける変化はすべてこの外部的影響に帰せられるべきである。
人 間の眼について考慮せよ。それは全創造物を感知する能力があるけれども、わずかの障害は事物を識別する力を失わせる程にその視力を妨げるであろう。これ等 の原因を創造し、これ等の原因の原因であり、この存在の世界に於けるあらゆる変化と変動はその原因に依ると定め給うた神の名に讃美あれ。全宇宙に於ける創 造されたもののすべては、彼の知識へ導く戸、彼の主権のしるし、彼の諸々の名の啓示、彼の威厳の象徴、彼の威力のしるし、彼の真っすぐな道へ入る手段に過 ぎない…。まことに我は告ぐ。人間の魂は本質的には神のしるしの一つであり、神の神秘のうちの神秘である。それは全能者の力強いしるしの一つであり、神の あらゆる世界の実在性を宣言する先駆者である。その中に、世界が現在全く理解し得ないものが秘められているのである。神の法律のすべてに遍在する神の魂の 啓示について汝の心の中で熟考せよ。そして、神に反抗して、諸々の名の主に向う事を人々に禁じ、欲望と邪悪に従って歩む様に人々に強いた、かの賎しく、ど ん欲な性格とそれとを対照せよ。その様な魂は誠に、誤謬の道に遠くさ迷っているのである……。
更に汝は、魂が肉体より分離した後の状態に関して我に質問した。も し人の魂が神の道を歩んだならば、必ず最愛なる者の栄光に戻り、引き寄せられるであろう事実を知れ。神の正義にかけて誓う!その魂はいかなるペンが叙述す る事、もいかなる舌が述べる事も出来ない程の地位に達するであろう。神の大業に忠実であり続け、彼の道にゆるがずに確固としていた魂は、昇天後、全能者が 創造し給うたあらゆる世界に利益を与え得る程の力を所有する。その様な魂は、理想の王と聖なる教育者の命令により、存在の世界を発酵させる純粋な酵母(こうぼ)を供給し、この世の技巧や驚異を顕(あら)わさせる力を供給する。粉が発酵するにはいかに酵母(こうぼ)を必要とするかを考慮せよ。超脱の象徴である魂は世界の酵母(こうぼ)である。これについて冥想(めいそう)せよ。そして感謝する者であれ。
数通の書簡の中で我はこのテーマに言及し、魂の様々な成長段階について説明した。誠に我は告ぐ。人間の魂はあらゆる出現と退却を越えて高められたものである。それは静止してい乍(なが)らも飛翔(ひしょう)する。それは動いてい乍(なが)ら も静止するそれは本質的に始めも終りも持たない世界の実在性、並びに偶発的な世界の存在を証言する証拠である。いかに、夢の中で見た事が多年の後、汝の眼 前で再演されるかを見よ。汝の夢の中で現われる世界の神秘がどれ程不可思議なものであるかを熟考せよ。汝の心の中で、測リがたい神の叡知(えいち)を熟考し、その多種多様に亘(わた)る啓示について冥想(めいそう)せよ。
神の工作の驚くべき証跡を目撃し、その範囲と特性について熟考せよ。予言者等の封印なる彼は述べた。「お、神よ、あなたへの我が驚嘆(きょうたん)と驚異を増し給え!」と。
物 質界は限界を免がれないかどうかと云う汝の質問に関して。この事についての理解は観察者自身に依存する事を知れ。或る意味ではそれは限られたものであり、 他の意味ではあらゆる限界を越えて高遠なるものである。唯一真実の神は永遠に存在してこられたし、将来も永遠に存在し続け給うであろう。同様に神の創造は 始まりを持たなかったし、又終りも持たないであろう。しかし乍(なが)ら、創造されたものはすべて原因に先行される。この事実自体、少しも疑う余地なく創造主の一体性を確証するものである。
汝 は更に、天球の特質に関して我に質問した。その特質を理解するには昔の諸々の聖典の中で述べられた天球と天空についての言及の意味を調べ、この物質界との 関係の性格と、物質界に及ぼしている影響を発見することが必要である。あらゆる心は、それ程途方もない主題に驚異で満たされ、あらゆる知性は、その神秘性 で当惑させられる。ただ神のみがその意義を測り知る事が出来給うのである。この地球の生命は数千年であると定めた神学者等は、長年に亘(わた)る観察にもかかわらず、他の惑星の数、又は年を考える事に失敗した。なお、この人々が提出した理論から生じた多種多様に亘(わた)る相違について考慮せよ。あらゆる恒星は惑星を持ち、あらゆる惑星はそれ自体の創造物を持ち、そしてその数は誰も計算し得ない事を知れ。
おお我が顔に眼を向けた汝よ!この日、栄光のあけぼのはその光輝を顕(あら)し、 最も高遠なる声は呼びかけている。我は以前、次の様な言葉を口にした。「この日は誰もその主を疑う日ではない。栄光のあけぼのなる彼が声に出した神の呼び 声に耳を傾けた者等はすべて起ち上り、次の如く呼ぶべきである―おおあらゆる名の主よ。我ここにあり、我ここにあり。おお天の創造者よ!我ここにあり、我 ここにあり、汝の啓示により神の書に秘められて来たものは明かされ、汝の使者によって聖典に記録された事はすべて実現された、と証言いたします、と。」 ○82
(84) LXXXIV唯 一真実の神を全創造物より別の、そして限りなく高められた存在として考えよ。全宇宙は彼の栄光を反映しているが、一方彼自身は彼の創造物より独立し、超絶 した存在であり給う。これが神の一体性の真の意味である。永遠の真理なる神は、存在の世界に争う者のない主権を行使する威力であり、その像はあらゆる創造 物という鏡に反映する。あらゆる存在は神に依存し、そして神より万物の生命を維持するための源泉が得られるのである。これが神の一体性の意味であり、これ がその根本的な原則である。
或 る者等は、自らの空虚な幻影に迷わされて、全創造物は神の仲間、同僚であると考え、自らを神の一体性の解釈者であると想像した。唯一真実の神なる彼にかけ て誓う!その様な人間は盲目的模倣の犠牲者であったし、そうあり続けるであろう。そしてそのようなものは、神の概念を制限し、限定した者等のうちに数えら れるのである。
神の一体性を真に信ずる者は二元性と単一性を混同しないだけでなく、自分のもつ神の単一性の概念を曇らせるような多様性の観念をしりぞけ、聖なる存在者をその特性により数の限界を越えるものとみなすのである。
神の一体性の信仰の真髄(しんずい)は、 神の顕示者である彼と、眼に見えない、近づき難い、不可知の精髄である神を、一つであり、同じであると見なす事より成り立つ。ということは、前者に関する ものは何であれ、即ち、彼の行動と行為のすべてと、また彼が定め、禁ずるもののすべては、あらゆる様相とあらゆる状況の下で、そして何らの制限なく神自身 の意志と同一視されるべきであると云う意味である。これは神の一体性を真に信ずる者が到達する事を望み得る最も高遠な地位である。この地位に達し、自らの 信仰に確固としている者は幸いである。○84
(86) LXXXVIさ て、人間の魂は肉体より分離後も、引き続き互いに認識し合うかという汝の質問について。深紅の箱船に入り、そこに定住するバハの人々の魂は、肉体より分離 後も互いに親密に交わり、語り合うことを知れ。彼等は生活、希望、目的、努力のすべての面において非常に密接な係わりを持ち、あたかも一つの魂のようにな るであろう。彼等こそは、真に博識であり、鋭い洞察力を持ち、理解力を授けられた者等である。すべてを知り、すべてに賢き御方はこのように定め給うたので ある。神の箱船の住民であるバハの人々は皆、互いの置かれている状態と様子を十分認識しており、親しさと友情の絆で結ばれている。しかし、この状態に達す ることは、各自の信仰と行ないとに必然的に掛かっている。同じ地位と等級にある者は、互いの能力、性格、業績、真価などを十分に知っている。しかし、低い 地位の者は上級者の地位を正しく理解することも、真価を評価することもできない。各自は、汝の主よりその分け前を与えられよう。神のもとへと魂が飛び立つ まで、常に面(おもて)を神に向け、神の愛の道を確固として歩む者は幸いなり。神こそは主権に満ち給う万物の主であり、最も力強く、常に許し給う御方、す べてに慈悲深き御方である。一方、不信心者の魂に関しては、我は次のように証言する。最後に息を引き取る時、彼等は生涯を通じて逸した善きものに気付き、 自分の置かれた苦境を嘆き、神の御前において自らをいやしむであろう。魂が肉体を離れた後も、彼等のこの状態は続く。肉体の死後、人は皆、自分の行ないの 価値を評価し、自らの手が何を成したかを知らされる。このことは、明白明瞭である。神の威力の地平線上に輝く昼の星にかけて我は誓う。唯一真実の神を信奉 する者がこの世を後にする瞬問、叙述し得ない程の喜びと感喜を経験する。一方、過ちの内に生きて来た者は、比べようのない恐怖とおののきにとらわれ、非常 な驚きと混乱に満たされる。すべての宗教の主に在す御方の、御恩寵に満ちた賜物と、諸々の御恩恵とにより、信仰の不朽なる選り抜きの美酒を飲み干した者は 幸いなり…。神に愛される者等はこの日、神の顕示者に目を向け、顕示者が御心に従い啓示し給うものに眼をしっかりと据えなければならない。過ぎ去りし時代 から引き継がれて来た伝承の中には、何ら根拠を持たないものがある。また、過去の世代の人々が心に抱き、書物に記して来た概念は大部分、堕落した心の欲望 に影響されたものである。汝も見て知っている通り、今日一般に普及している神の言葉に関する評論や解釈の殆どは、真実を全く含んでいない。その解釈の過ち は、そこに介在するヴェールが引き裂かれることによって暴露される場合もある。神のいかなる言葉の意味をも理解できていないことを、彼等自身が認めるので ある。人々は、過去の時代に語られた空虚な言葉より自らの心と耳を清めなければならない。そして、魂の奥底から神の啓示の曙(あけぼの)である御方に向か い、彼によって現わされたすべてのものに向かわなければならない。神に愛される者等がこのことを果たすならば、それは神の眼から見て、非常な賞賛に値する のである。この真理を示すことがここでの我が趣旨である…。彼の名を賛美し、感謝する者であれ。我が愛する者等に我が挨拶を伝えよ。彼等こそは、神の愛を 受けるために、神によって選り抜かれた者等であり、神は彼等の目標を成就させ給う。諸々の世界の主に在す神に栄光あれ。(86)
(88) LXXXVIIIま ことにこのことを知得せよ。正義の真髄と、正義の源泉とはいずれも、人類に対する神御自身の顕示者によって定められた法の内に具現化されている。おお、汝 等、この真理を認める者ならば。実に顕示者は、最高にして、誤りのない正義の基準をすべての創造物に対し具現するものである。顕示者の定める法が、例え天 と地にあるすべての者の心に恐怖をもたらすものであったとしても、その法は尚も明白なる正義に他ならない。この法の啓示が人々の心に引き起こす恐怖と不安 は、実に、母親の乳より離された乳児の泣き叫ぶ声になぞられよう。おお、汝等、洞察力を持つ者ならば。人間はもし神の啓示の根底にある目的を発見すること ができれば、必ず恐れを捨て、感謝の念に心を満たし、至上の喜びをもって悦に入るであろう。(88)
(90) XC天 上にあろうが、地上にあろうが、万物はみなその中に示されている神の属性や御名の直接の表れである。例えば、原子一つ一つの中には、あの最大の光の啓示を 雄弁に立証する数々の御光が秘められている。思うに、あの啓示の偉大なる力がなかったなら、総ての存在はあり得なかったのであろう。一つの原子の中に輝く 知識の発光体は、何と輝かしく、一滴の雫(しずく)に波打つ英知の大洋は何と広々としていることであろう。総ての創造物の間にあって、人類はこのような天賦(てんぷ)の衣を与えられ、このように素晴しい栄光が得られるよう選び抜かれているのであるから、この原理の真実性は、人類に至って最高に実証されているのである。というのは、人類には他のどんな創造物も抜きんでることも、凌(しの)ぐ こともできないほどの神の属性や御名が潜在的に示されているからである。これらの御名や属性は総て、人類が享受できるものである。まさしく、波はこう述べ られている、「人は我が神秘であり、我は人の神秘である」と。この最も微妙で高遠な主題を表現する聖句は、総ての天来の書や聖典の中で数多く繰返し述べら れている。まさしくこう述べられている、「我は、あのものどもに、我の徴(しるし)を見せてやろうぞ、世の中にも、彼ら自身の中にも」と。またこうも述べられている、「それからお前達自身の中にも。お前達、神の御徴(おんちょう)が 見えないのか」と。さらにまたこう述べ給う、「神を忘れ、そのため神により自らを忘れるようにされた者らのようにはなるな」と。この点に関して永遠の王に まします彼―願わくば神秘な礼拝堂の中に住む総てのものの魂が彼への犠牲とならんことを―はこう述べておられる、「已を知ったものは、神を知った者であ る」と。
前 述のことから、万物は、その奥底の本質の中で神の御名や属性の啓示を立証していることが明白となる。各人は、それぞれの能力に応じて、神の知識を示したり 表したりする。この啓示は非常に力強く、普遍であるから、眼に見えるもの、見えないもの総てをおおい包んでいる。彼は次のように述べておられる、「神を出 現させることができ、神でさえ所有されない啓示の威力を持つものが、神を置いて他にあろうか。神を認めないような眼は盲である」と。同様に、永遠の王はこ う言われた、「我は何を見ようとも常に、その内部に、またその前後に神を見た」と。またコメイルの伝承の中にこう書かれている、「見よ、永遠の朝から、一 条の光がさした。そして見よ!その光の波は、総ての人々の奥底の本質を貫いた」と。総ての創造物の中で最も貴品高く、最も完全である人類は、この啓示の強 さにおいて万物に卓越しており、その栄光をよリ完全に表現している。そして総ての人間の内で最も完成され、最も秀でて、最も卓越したものは、真理の太陽を 顕示する者達である。それどころか、これらの顕示者達以外の総ての人々は、顕示者の意志の作用によって生き、そのあふれるような恩寵(おんちょう)をうけて存在し、活動するのである。○90
(94) XCIVさて、二つの神の存在に関する汝の言及について。主なる汝の神に共同者が在るなどと思わぬよう留意せよ。留意せよ。神は現在も過去も久遠より唯一であり、単独であり、比肩者(ひけんしゃ)も 同等者もなく、過去に於て永遠であり、未来に於て永遠であり、万物より超脱し、常に永続し不変であり、御自力にて存在し給う御方であり給う。彼の王国に於 て神は仲間も相談役も指定する事なく、御自分と比較する者も御自分の栄光と対抗する者もない。宇宙のあらゆる原子、その他、いと高き王国の住民、即ち最も 高遠な座を占め、栄光の王座の前にその名が記憶されている者等はこの事を証言する。
神 御自身が自身のために宣告し給うたこの証言、即ち彼の他に神はなく、彼以外のものはすべて彼の命令に依って創造され、彼の許可により形造られ、彼の法によ り支配を受け、彼の単一性の栄光ある証拠に較べると忘れられたものであり、彼の一体性の力強い啓示と直面させれば無と同様のものであると云う事を、汝の最 奥の心の中で証言せよ。
彼 は事実、永遠にその精髄に於て一つであり、その属性に於て一つであり、その業に於て一つであり給う。ありとあらゆる比較は彼の創造物にのみ適応され、すべ ての関係についての概念は彼に奉仕する者等にのみ属する概念である。神の精髄はその創造物の叙述を越えて無限に高遠である。神のみが超然的威厳、崇高で近 付き難い栄光の座を占め給う。人々の心の小鳥は、いかに高く飛翔(ひしょう)し たとしても、神の不可知の精髄の高みに達する事は決して望み得ないのである。創造全体を存在に呼び起したのは神であり、神は御自分の命令であらゆる創造物 を生じさせ給うた。それでは、神のペンが明かし、神の御意志が指図した言葉に依って生まれたものは、神の仲間、又は神白身の顕現であると見なされるであろ うか?神の栄光は、人間のペンや者がその神秘について暗示したり、人間の心が神の精髄について想像したりするものからはるかにへだたった存在である。神以 外のすべては神の御扉の前に貧相でわびしく立ち、神の威力の偉大さの前ではすべては無力であり、神の王国に於てはすべては奴隷にしか過ぎないのである。神 はあらゆる創造物なしで済むほど富裕であり給う。
崇拝者と崇拝される者、創造物と創造者の間にうち立てられた隷属のきずなは、それ自体、神の人々に対する慈悲深い恩恵の証跡として考えられるべきであり、人間の持つ価値を示すものとして考えられるべきものではない。明敏で、真の信者はすべて、この事を証言する。○94
(95) XCVあ らゆる人々の主なる汝の主が、その書に定め給うた事に従って人類に与れられた恩恵はその範囲に限りがなかったし、未来も又そうあり続けるであろうと云う事 を知れ。全能者が人間に付与し給うた恩恵のうちでまず第一に重要なものは理解力と云う贈物である。神がこの贈物を与え給うた目的は、創造物をして唯一真実 の神-その栄光は高遠である―を知り、認めることを可能にするための他の何ものでもない。この贈物は、万物の中に真理を識別する力を人間に与え、正しい事 に人間を導き、創造物の秘密の発見を助ける。二番目は視力であり、理解力が機能し得るための主な手段である。聴覚や心臓の感覚その他は同様に人間の身体に 付与されている贈物のうちに数えられるべきである。これ等の能力を創造して人間の身体内に顕(あら)わされた全能者は、無限に高速であり給う。
これ等の贈物のすべて各々は、唯一真実の神―その栄光は高遠である―の威厳、威力、主権、そしてあらゆるものを包含する知識の疑いない証拠である。触覚について考慮せよ。いかにその力が人体の全体に亘(わた)って拡がっているかを目撃せよ。視力と聴力の機能は、それぞれ特定の局部に限られているが、触覚は人体全部に亘(わた)る。神の威力に栄光あれ、神の主権に賛美あれ!
これ等の贈物は人間の中に固有のものである。あらゆる他の贈物より卓越し、不朽の特性をもち、神自身に属するものは、神の啓示という贈物である。創造主によって人間に与えられている恩寵(おんちょう)は すべて、物質的なものであれ精神的なものであれ、それはすべて、神の啓示という贈物に対する補助的な働きをするものにすぎない。この贈物はその本質におい て天より下されて来るパンであり、将来もそうあり続けるであろう。それは神の崇高なる証言であり、その真理の最も明白な証拠であり、神の無上の恩寵(おんちょう)のしるしであり、その全包含的な慈悲の証拠であり、その最も慈愛に満ちた神意の証明であり、神の最も完全な恩恵の象徴である。この日、神の顕示者を認めた者は、実にこの最高の神の贈物の分け前にあずかった者である。
それ程に偉大な恩寵(おんちょう)を汝に与えた汝の主に感謝を捧げよ。汝の声をあげ、告げよ、「あなたに全栄光あれ、おお、あらゆる理解力ある心にとっての望みよ!」○95
(96) XCVI最 も高遠なるペンは絶え間なく呼び続ける。しかもその声に耳を傾ける者は何と少数であろうか!この世の識別力ある眼と聞く耳を持つ者にとっては、その色彩が いかにはかないものであるかが容易に認められるものだと云う事を諸々の名の王国の住民等は忘れて、派手な装いに気をとられてしまった。
現代、新しい生命は地上のあらゆる国民の中に目覚めつつある。しかも誰もその原因を発見し、その動機を感知した者はいない。西洋の人々について考慮せよ。彼等が、空ろ細些(ささい)な 事を追究し、それを確立させ促進させることに数え切れない程の生命を犠牲にして来、又現在もそうしているということを感知せよ。一方、ペルシャの人々は明 白で輝やかしい啓示の容器であり、その啓示の高遠さと名声の栄光は全地球を取り巻いたにも抱わらず、意気消沈し、深い無気力に沈んでいるのである。
お お、友等よ!汝等に付与されている徳に不注意であったり、汝等の高遠なる運命をなおざリにしたりしてはならない。誰かの心が案出したうつろな想像のために 汝等の努力を浪費するな。汝等は理解の天の星であり、夜明けにそよぐ微風であり、あらゆる人々の生命そのものが依存しなければならない静かな流水であり、 彼の聖なる巻き物に書き込まれた文字である。最高の和合と完全な友情の精神で、この神の日にふさわしい事を完遂(かんすい)し 得る様に努力せよ。誠に我は告ぐ、紛争や不和やその他、人間の心が忌み嫌うものは何であれ、人間の地位に決してふさわしいものではない。汝等のエネルギー を神の信教の普及に集中せよ。それ程に高遠な神のお召しに価値のある者は立ち上がり、それを促進させよ。それが出来ない者は自分の代りに、この啓示―その 力は最も強力な構造物をも震わせ、あらゆる山々をちりと粉砕し、あらゆる魂を唖然(あぜん)とさせた啓示-を宣布する者を任命する義務がある。この日の偉大さが十分に明かされれば、あらゆる人々はたとえ一瞬間であろうともその偉大な栄光の分け前にあずかろうとする熱望の故に、この世とその滅ぶべき宝物はおろか、何千回でも生命を捨てるであろう。
汝等のあらゆる行為を叡智(えいち)によって導かせよ。また、その叡智(えいち)に粘り強く執着せよ。汝等のすべてが神の意志を成就するために強められ、神に愛される者等の中で神に奉仕し、神の御名を賛美するために立ち上った者に付与される地位を正しく評価し得る様に慈悲深く援助されるよう、神に懇願(こんがん)する。神の栄光と、天と地に在るすべての栄光そして最も高遠な楽園である天国の中の天国の住民の栄光はこの地位を得られた者らに向けられる。○96
(98) XCVIII言 挙げよ。おお、宗教の指導者達よ。汝等の間に今日普及している基準や学問をもって、神の書を推し量ってはならない。何故ならば、神の書はそれ自体、人の世 に確立された誤りのない秤なのである。地上に住む諸々の民の有するものはすべて、この完全なる秤にかけられなければならない。そして、この秤に用いられる 基準は、この秤固有の標準によってのみ試されよう。おお、汝等、このことを知り得たならば。昼に夜に、朝に夕べに汝等が呼び続けてきた者を、汝等は認める ことができなかったのである。汝等のこの有様を我は嘆き、我が慈愛の眼に涙が溢れる。おお、人々よ。雪のように白い面(おもて)と、輝く心とをもって、祝 福された深紅の場所に向かって進行せよ。そこでは、(注)サドラトル・モンタハがこのように呼びかけている。「まことに、我以外に神はなく、我は全能なる 庇護者にして、自力にて存在する者なり。」おお、宗教の指導者達よ。洞察力や看破力に右いて、我に比ぶる者が汝等の中にいようか。また、我が言葉と英知に 匹敵するものを持つとあえて主張できる者がどこにいようか。否、慈悲深き我が主にかけて言う。地上にあるすべてのものは朽ちて去る。そして、これこそが全 能にして、敬愛される汝等の主の御顔である。おお、人々よ。あらゆる学問の最高にして、究極の目標として我が定めたものは、すべての知識の的である者の認 識である。にもかかわらず、見よこの有り様を。汝等の学識はまるでヴェールのように彼との間を遮断しており、汝等はこの状態にあまんじているではないか。 彼こそはこの光明の曙であり、隠されていたものはすべて、彼を通じて明かされたのである。この言葉の輝きの光源を発見できたならば、汝等はこの世の人々と 彼等の所有するすべてを捨て、この最も祝福された座に接近したであろう。言挙げよ。まことにこれこそは母なる書が納められている天界である。おお、汝等、 このことを理解し得たならば。彼こそは岩を叫ばせ、聖地のそびえる山頂に燃え盛る藪に、「御国は神のものなり。神は万物を支配し給う主に在し、脚力に満 ち、愛し給う者なり」と、声高らかに語らせた者である。我は学び舎に学んだこともなければ、汝等の論文をひもといたこともない。常に存在し給う神の下へと 汝等を召喚するこの無学なる者の言葉に耳傾けよ。これは汝等にとって地上のすべての財宝に勝るものである。おお、汝等、このことを理解し得たならば。(98)
(注)アラビア語で「限界点に立つ樹木」の意味。顕示者を指す神 に対する信仰心は、あらゆる国で衰えつつある。彼の健全なる妙薬の他にそれを回復させ得るものはなにもない。不信心による腐食は、人間社会の核心をも蝕 (むしば)みつつある。彼の威力みなぎる啓示の霊薬をおいて、何が人間社会を浄化し、復活させ得るであろうか。おおハキムよ、物質の微小かつ不可分な分子 の構成要素に完全な変化をもたらし、その物質を純金に変えることが果して人間の力で可能であろうか。これは複雑で困難な課題に見えよう。しかし、これにも 増して偉大な事業を成し遂げる力を一我は付与されている。その事業とは、悪魔的勢力を天来の威力に変貌させることである。このような変貌をもたらし得る力 は、かの霊薬の効能をも超越するものである。神の例言葉以外に、これほど崇高な、そして広範囲にわたる変革を達成するに必要な能力を有するものはない、神 の例言葉のみがこのような卓越性を誇り得るのである。(99)
(100) C神 の王座より発せられた聖なる布告者の声は次のように宣言する。おお汝等、我が愛する者等よ。我が聖なる衣服の裾を、この世の事物で汚してはならない。そし て、汝等の腐敗した邪悪な欲望の衝動に従うな。その栄光の頂点に達し、この牢獄の天界に鱗燃(さんぜん)と輝く神聖なる啓示の昼の星こそ我が証人なり。森 羅万象(しんらばんしょう)の愛慕の的である者に心を向ける人々は、この日、目に見えるもの、見えざるもののすべての創造物を超越し、それらより自らを聖 別しなければならない。もし我が大業を教え拡めるために起ち上がるならば、彼等は、何ものにも束縛されぬ御方の息吹によって奮い立たされなければならな い。そして決意を固め、思いを全く彼のみに集中し、あらゆるものを完全に超越し、独立した心と、この世とその虚栄より聖別された魂とをもって、我が大業を 地上に広く伝えなければならない。旅の備えとして彼等が選び得る最上のものは、神への信頼である。また、最も崇高にして、栄光に満ち給う彼等の主の愛を もって身を装うことが彼等にとって最も似つかわしいことである。これを成せば、彼等の言葉はその聞き手に影響を及ぼすであろう。この日、自らの邪悪な欲望 に溺れ、地上の事物とそのはかない栄光に望みを掛けた者等は、正に広大な深淵によって我より隔てられている。その疎遠の程はいかに大であろうか。慈悲に満 ち給う者の宮廷は、外見上この世の財を完全に剥奪された状態に、幾度となく置かれて来た。そのつど、彼と親しく暮らす人名は悲惨な貧窮に苦しんだ。彼等の その苦しみにも拘らず、最も高遠なる者のペンはいかなる時にも、この世とその財貨に係わるものに言及することも、わずかに暗示することも良しとしなかっ た。そして何らかの贈り物が彼に贈られた時は、それはその贈り主に対する恩寵のしるしとして受け取られた。もしかりに、我が地上のすべての富を我自らの使 用のために専有したとしても、我が主権に対し異論を唱え、我が権限に挑戦を起す権利は誰にも与えられていない。人の所有する富を、唯一真実の神の名のもと に懇請することは最もいやしむべき行為である。汝を始めとし、永遠の真理なる御方に従う者等に課せられた義務はこれである。つまり、人間を地上の事物への 執着から聖別させ、その汚れを清めるものの下へと万人を召喚することである。それにより、栄光に満ち給う御方の衣の甘美なる芳香が、彼を愛するすべての者 より漂って来よう。しかし、富める者は貧窮者に対し最善の配慮を払わなければならない。何故ならば、貧しい中にあって、ゆるまず忍耐する者に対し、神は大 いなる栄誉を準備し給う。我が生命にかけて誓う。神が御心により与え給う栄誉以外に、この栄誉に比較し得るものはない。忍耐強く耐え、自らの苦しみを覆い 隠す貧しき人々を待ち受ける祝福は大いなるものなり。同様に、自らの富を貧窮者に分け与え、彼等を自分自身より優先させる富裕者は幸いなり。神よ、願わく ば貧しき者も生計を立てるに努力せんことを。これは、この最も偉大なる啓示に於いて、万人に課せられた義務であり、神はそれを善行とみなし給う。この義務 に忠実なる者に対しては、見えざる御方の援助が確実に下されよう。神は望み給う者を、御恩寵を通じて富ますことが出来給う。まことに、神は万物を支配し給 う。おおアリよ、神より愛されし人々に告げよ。人間の持ち得る徳の中にあって、最も基本的なものは公正である。あらゆる事柄の評価は公正によらなければな らない。この囚人の身に降り掛かって来た悲痛と苦難についてしばし熟考せよ。生涯を通じて我は常に我が敵の意のままにされた。そして、神の愛の道において 日毎、新たな苦難を味わって来た。だが我は、神の大業の名声が地上に広く伝えられるまで、忍耐強く耐え忍んで来た。もしここである人物が立ち上がり、自ら の心の内に案出した空虚な想像に導かれるままに、人々の間に不和の種をまこうと、公に、またはひそかに努力したとすれば、そのような人間は公正に行動した と言えようか。否、万物にその脚力が及び給う御方に誓ってそうではない。我が命にかけて言う。我が心は榊の大業のために、そして、自らの発言の意味をも理 解せず、自らの理解し得ないことを想像する者等のために嘆き、我が眼は悲痛の涙を流す。
こ の日、万人に求められることはこれである。つまり、最大名に確固としてすがり、人類の一体性を確立することである、彼の下に向かう以外に逃げ場はない。彼 以外に避難所を求めることは誰にもできない。人々をして、神の無限の大海原の岸辺に背を向かせ、人間的制約を受ける姿をもって現われた、この栄光あふれる 明白な存在者以外に人々の心を向かせる言葉を語る者がいたとすればどうであろうか。それがいかに高い地位の人物であれ、その者は全創造物の非難を浴びるに 逢いない。即ち彼自らが慈悲に満ち給う御方の甘美なる芳香を逸したのであるからである。言挙げよ。おお、理解力を持つ心を有する人々よ、汝等の判断に公正 であれ。判断に公正を欠く者は、実に、人間の地位を特徴づける特性を欠く者である。永遠の真理なる御方は、人の胸の内に隠されたものをよく知り給う。しか し、神の寛容は長きにわたり、そのため人類はその大胆さを増した。つまり、定められた時が来るまで、神は諸々の覆いを引き裂く手を留め給う。すべてに勝る 神の慈悲は、神の激怒の嵐を押さえているのである。そのため、殆どの者は、唯一真実の神は彼等がひそかに犯したことに気付いていないと想像するに至った。 すべてを知り、すべてに精通し給う御方にかけて誓う。あらゆる人間のあらゆる行為は、完全な明白さをもって、神の知識の鏡に正確かつ忠実に映し出されてい る。言挙げよ。おお、弱き者と哀れなる者の罪の隠蔽者(いんぺいしゃ)に在す御方に賛美あれ。御名に誉れあれ、おお、あなたに対して罪を犯す無思慮な者等 を許し給う御方よ。人々が、自らの心の内に抱く想像に従って歩むことを、我は断じて禁じた。その趣旨はこれである。つまり、諸々の英知の荘厳なる源に在 し、すべての知識の目的に在す御方を人々が認め、彼が御心のままに現わし給うあらゆることを受け入れることができるようにするためである。しかし見よ、い かに人々が自らの無益な幻想と、空虚な想像に巻き込まれているかを、我が命にかけて言う。彼等は、自らの心が案出したものの犠牲となった。だが、そのこと に気付いていない。彼等の口をもれる言葉は空虚で無益なものである。だが、そのことを彼等は悟っていない。我は神に嘆願する。万人が彼を知り、自らをも知 り得るよう、御恩寵を慈悲深く垂れ給え。我が命にかけて言う。彼を知った者は、彼の愛の限りない空間に舞い、この世とその中のすべてを超脱するであろう。 地上のいかなる勢力も、ここに至った者をその進路からそらすことはできない、ましてや、空虚な想像に導かれ、神の禁じ給うことを語る者等が彼等をその進路 からそらすことは到底できない。言挙げよ。この日は、万人が彼の声に耳を傾けなければならない日である。この虐げられし者の呼び声に傾聴し、唯一真実の神 の御名を崇めよ。神を記憶することをもって汝等の身を飾る装飾とし、神の愛の光をもって汝等の心を照らせ。これこそが人々の心の錠を開ける鍵である、これ こそが命あるものすべての魂を清める研磨である。神の御意志の指より注がれたことを心に留めない者は、明らかなる過ちの内に生きる者である。真の信仰の証 しは親和と公正なる行為であり、決して不和と害毒ではない。真理を語り、神の信託を携えた者が汝に守るよう命じたものを人々に伝え知らせよ。おお汝、我が 名を呼び、自らの眼を我が宮廷に向け、自らの舌をもって恵沢多き汝の主の賛美を語る者よ、我が栄光は汝と共にあらん。(100)
バブによる啓示の書。ペルシャ編とアラビア編とがあり、前者の方が大作である。「バブによって制定された法律の宝庫、バブの教えを納めたものの中で最も重要なもの」と言われる
モハメッドのこと。モハメッドは「神の日」の出現以前の宗教制の周期の最後の預言者に当る