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Gleanings : 1-50
「落穂集」
バハオラ
抜粋文 1~50
(2) II

すべてのものごとの始まりは神の知識であり、すべてのものごとの終りは天に在るすべてと地にあるすべてに遍在する神の意志の天上界より下されたあらゆることを厳格に守ることである。②

(3) III

太 古より総ての神の予言者等の目的及び約束として、そして神の使者等が最もいつくしんできた望みとして歓呼して迎えられてきた啓示は、今や全能の神の遍在の 意志と、抗し難い命令により人類に明かされた。この様な啓示の出現はあらゆる聖典に予告されてきた。この様な告知にもかかわらず、いかに人類はその道より 迷い出し、その栄光より遮られているかを見よ。

言 挙げよ、おお汝等、唯一真実の神を愛する者等よ!彼を真に認め、知るように努力し彼の敬えを正しく遵守せよ。この啓示に於いては、或る者がこの為に一滴の 血を流せば無数の大洋がその報酬となるであろう。おお友等よ、これ程貴重な恩恵を失ったり、その超絶的な地位を無視することのない様に留意せよ。人々の空 しい想像が生み出した単なる妄想によって惑わされた世界の中に犠牲にされてゆき、又は現在に於いてもまだ犠牲にされている無数の生命について熟考せよ。汝 等は心の望みを得、あらゆる国の約束である彼と結ばれた故に神に感謝を捧げよ。唯一真実の神―その栄光はまことに高遠である―の援助を受け、汝の到達した 地位の高潔さを擁護(ようご)し、彼の大業を促進させるものに愛着せよ。彼はまことに正義に適ったことと人間の地位の向上を促すものを命じ給う。全てに慈悲深き御方、この驚くべき書簡の啓示者に栄光あれ。③

(4) IV

今日こそは、神の最もすばらしい恩寵(おんちょう)が人々の上に注がれている日であり、彼の最も偉大なる恩恵がすべての創造物の中に注入されている日である。自分達の間の不和を和解させて完全な統合と平和のうちに、彼の保護と慈愛の下蔭(したかげ)に とどまるようにすることは、世界中の人々の義務である。人々はまた、今日彼らの地位を崇高なものとなし、彼らの真の利益を促進させるものにすがらねばなら ない。栄光に満ちたペンが名を記憶するようにと記した人々は幸福であり、我の測り難い定めによって名を隠すようにした人々も祝福されている。我が認めるこ とを総ての人がなし遂げられるよう慈悲深く助け給うよう、唯一真の神に懇願(こんがん)せよ。現在の秩序は間もなく巻き上げられ、その代りに新しい秩序が繰り広げられるであろう。誠に汝の主は真理を語り、眼に見えぬものをもお分りになる御方におわす。④

(5) V

今日こそは、神の慈悲の大洋が人々に顕(あら)わされた日であり、神の慈愛の昼の星がその輝きを彼等に注ぎかけた日であり、彼の惜みない恩寵(おんちょう)の雲が全人類に影を投げかけた日である。今こそ愛と親善の活気ある微風及び友情と慈善の活水で意気消沈の人々を励まし、元気づける時である。神より愛される者はいかなる場所に集合しても、誰と逢っても神に村する態度と彼の賛美と栄光を称賛する態度とに於いて大いなる謙遜(けんそん)と従順さとを示し、彼等の足下(あしもと)のちりのあらゆる原子がその献身の深さを証言する程でなければならない。これ等の聖なる人々によって交わされる会話は偉大な力によって満たされ、ちりの原子はそれに影響されて喜びで身震いする程でなければならない。彼らは自分達の踏む足下(あしもと)の 大地が決して次の様な言葉をもって話しかけることのないように振舞わなければならない。「汝等よりも我の方が好ましく思われるべきである。何故なら農夫が 我にのせる重荷を我がいかに忍耐強く支えているかを目撃せよ。我は全恩恵の源泉である神が我に託された祝福をあらゆる存在物に絶え間なく分け与えるための 手段なのである。我に授けられた名誉と富―全創造物の必要物を供給するわが富―の数え切れない程の証拠にもかかわらず、いかに我が謙虚であるかを見、どれ 程の絶対的な従順さをもって我自身を人の足下(あしもと)に踏みにじらせているかを目撃せよ…」

お 互いに忍耐と慈善と愛とを示せ。もし汝等のうち誰かが或る真理を把握できない時、又は理解しようと努力している時には会話中に大いなる親切と好意の精神を 示せ。汝自身が彼よりも優越しているとか、より以上の才能を持つ者であるなどと少しでも考えることなく、彼が真理を見、認めることができるように援助せ よ。今日に於ける人間の義務のすべては神が各人のために流し給うた恩恵の洪水の分け前に授かることである。それ故に、誰もその容器の大小を考えないように せよ。或る者の分け前は掌にのる位であるかも知れないし、他の者の分は湯否み(ゆのみ)を満たし、その他の者の分は一樽程であるかも知れないからである。

今 日あらゆる者の眼は神の大業を最良に促進するものを追求すべきである。永遠の真理である彼は証言給う!今日に於いて、神より愛される人々の間の不和、争 い、論争・離反・冷淡さ以上に大なる害をこの大業に及ぼすものはない。神の威力と彼の至高の助けによりこれを避け、彼の名―統合者、全知者、全賢者のもと に人々の心を結び合せるように努力せよ。

彼の道に於いて達せられるような行為の香気を味わい、彼のために示されるような謙遜(けんそん)と従順の甘さにあずかるように唯一真実の神に懇願(こんがん)せ よ。汝等白身を忘れ、眼を隣人に向けよ。汝の活力を人類の教育を促進するあらゆるものに向けよ。何事も神から隠されてはいないし、又決して隠し得ない。も し彼の道に従えば測り知れない不滅の祝福が汝等に注ぎかけられるであろう。これは輝かしき書簡であり、その中の句はあらゆる世界の主なる彼の筆の動きより 流れ出たものである。このことを汝等の心の中で熟考し、その教訓を守る者であれ。⑤

(7) VII

我 はまことに言う。この日こそは、人類が約束された者の顔を見、声を聴くことのできる時である。神の呼び掛けは発せられ、その御顔の光明は人類に向けられた のである。従って人は皆、自己の心の書よりあらゆる空虚な言葉の痕跡を消し去り、開かれた公平な心をもって彼の啓示のしるしを見、彼の使命の真を立証する ものに向かい、彼の栄光の証しを見つめなければならない。

こ の日は偉大なり。すべての聖典はこの日を神の日と称し、その偉大さをたたえている。神の予言者と聖なる使者は皆、この素晴らしき日の到来を心から渇望して 来た、同様に、地上のすべての民はこの日に巡り合うことを切望して来た、しかし、彼の啓示の昼の星が神の御意志の天上に出現するやいなや、全能者の御心に よって導かれた者を除き、誰もがただ唖然として、無思慮なままでいたのである。おお、我を記憶する者よ。地上の人々は最も嘆かわしいヴェールによって彼の 栄光から遮断されており、彼の呼び掛けに聞き入ることを妨げられている。神よ、願わくは、和合の光りが地球全体を包み、そこに住むすべての人々の額に「御 国は神のものなり」の印が記されるよう成し給え。(7)

(12) XII

約束された時刻は今や満ちた。されば、おお人々よ、身を奮い立たせ、神の正義の日々の到来に傭えよ。その重大な意義を取り運えて、過てる人々の内に数えられることのないよう注意せよ。(12)

(16) XVI

言挙げよ、おお人々よ!今日は無比の時代である。同様に、あらゆる民衆の熱望する者を讃える舌も無比でなければならず、彼の眼に受け入れられる様にと熱望する行為も無比でなければならない。全人類はその地位にふさわしいことと、その運命に値することを完遂(かんすい)できるかも知れないとこの日を切望して来た。この世の事柄に妨げられず万物の主なる彼を認めた者は幸いである。

人 間の心は、都市の破壊や山の灰じん化や大地の分裂などによっても目覚めない程に盲目となってしまった。諸々の聖典に言及されたことは示され、それに記録さ れた諸々のしるしは現われ、予言的叫びは常にあげられている。しかも神の思召しにより導かれた者等以外はすべて無思慮の酔いの中で途方にくれているのであ る!日々新たな災難でいかにこの世が苦しめられているかを目撃せよ。その艱難(かんなん)は絶えず深まりつつある。ライースヘの書簡が 啓示されて以来今日に至る迄、世の中が静まることも人々の心が休まることもなかった。一時は論争と議論でかき乱され、他の時は戦争で極度に動揺させられ根 深い疾病で苦しまされた。その病は全く絶望の階段に近付きつつある。と言うのは、真の医師は治療を施すことを妨げられ、一方未熟な医者が好まれ、完全に思 いのまま振舞う自由を許されているからである。…騒乱の芥は人々の心を曇らし彼らの眼をくらました。彼らはやがて神の日に、自らの手による仕業の結果に気 付くであろう。あらゆるものに精通するものなる彼は、最も強力なる者、全能者に命令された通り、この様に汝等に警告する。⑯

(19) XIX

不 可知なる御本質に在し、神々しい御存在である神は、肉体的存在、上昇や下降、出現や退却などという、あらゆる人間的属性よりはるかに崇高であることが、総 ての明敏で啓蒙された心の持ち主には、はっきりとしている。人間の舌が神の讃美を十分に述べ、人間の心が神の測り知れない神秘を理解することは、神の栄光 からして到底できないことなのである。神は、古今を通じ、御自身の本質の古の永遠性の中に隠れておられ、神の実在は永久に人間の眼からは隠れたままにされ るのである。「如何なる視力も彼を包含せず、彼は如何なる視力をも包含し給う。彼は鋭敏なる御方に在し、総てを感知し給う御方に在します。」

日の老いたる者を知ることへの門戸は、このように生きとし生けるものの面前から閉ざされているので、「彼の恩恵は万物を超越しており、我が恩恵は、万物を余すところなくおおい包んでいる」という彼の御言葉通りに、無限なる恩恵の源泉は、あの輝かしい聖なる宝石達を霊界から人体という高貴な形で現わし、万人の前に明らかに示された。それによって彼等が不変の存在の神秘を世間に伝え、また神の不滅の真髄(しんずい)の不可思議について語るようにと。これらの聖別された鏡遠、これらの古来の栄光の曙達は、皆、宇宙の中心天体であり、その真髄(しんずい)で あり、究極の目的である神についての地上での解説者達である。彼らの知識や力は神に由来し、彼らの主権は神に源を発している。彼らの御顔の美は、神の御姿 の反射にすぎないし、また彼らの啓示は神の不滅の栄光の御兆にすぎない。彼らは、神の知識の宝庫であり、天の英知の貯蔵庫である。彼らを通して、限りない 恩恵は伝えられ、決して衰えることのない光が彼らによって啓示されるのである。

これらの聖なる神殿達、不滅の栄光の光を反射するこれらの主要な鏡遠は、見えないものの中の見えないものである御方の表現にしか過ぎない。これら聖なる徳性の宝石の啓示によって、知識や威力、主権や支配、慈悲や英知、栄光、恵沢や恩寵(おんちょう)というような神の総ての御名や属性が顕示されるのである。

神 のこれらの属性は、ある予言者にのみ特別に与えられ、他のものには差控えられるということは決してないのである。そうではなく、神の予言者達、神の寵愛を 受ける者達、神の聖なる選ばれた使者達は皆、例外なく神の御名の保持者であり、また神の種々の属性を具現する権化である。彼らはただ、それぞれの啓示の威 力が違い、各自の光の勢力を比較すると差があるだけなのである。まさしく次のように述べられている、「我は、使徒達の内の或るものを他の者達より卓越させ ておいた」と。それ故、これらの属性中のどれかの光が、たとえその輝かしい寺院から、人々の眼に外見上見えたり見えなかったりすることはあっても、預言者 達や、神に選ばれたもの達の神殿の中には、神の無限の御名や、卓越した属性の光が反射されていたということは、明白になったであろう。神の或る一つの属性 が、これら世俗超脱の精髄達によって外面的に現わされなかったとしても、神の属性の曙であり、神の聖なる御名の宝庫である彼等が、実際にそれを持ち合わせ ていなかったということを意味するものでは決してないのである。だからたとえ外見上では、俗界の総ての威厳を剥奪(はくだつ)されているかのように見えたとしても、これらの輝かしい人達、これらの美しき御顔達には、一人残らず主権とか支配力とかいう総ての神の属性が賦与されていたのである。⑲

(20) XX

不 可視なる者は決してその精髄を具現し、人間に現わさない、ということを確実に知れ。彼は現在に於ても過去に於ても、説明又は知覚し得るすべてのものを越え て無限に高遠なるものであり給う。栄光の隠れ家より彼の声は絶えず宣言しつづけている。「まことに我は神である。全知者、全賢者なる我の他に神はない。我 は我白身を人類に顕(あら)わ し、わが啓示のしるしのあけぼのである彼を下した。我は彼を適してあらゆる創造物をして比類なき者、あらゆるものに精通するもの、全腎者なる彼の他は神は ないことを証言させた。」人間の眼より永遠に隠されている神はその顕示者を通して以外には決して知られ得ないし、そして顕示者はその使命の真実性を証明す るにあたり彼白身の人格の証拠よりも大なる証拠を提示し得ないのである。⑳

(21) XXI

おおサルマン!古来の存在者の知識への扉は人間の面前で閉されてきたし、また未来永劫に閉され続けるであろう。いかなる人間の理解力も神の聖なる宮廷には決して、近付き得ないであろう。しかし乍(なが)らその慈悲のしるし、そしてその慈愛の証拠として一神は人類に聖なる教導の昼の星、神の一体性の象徴を顕(あら)わ し、これらの聖別された存在者の知識をして神御自身の知識と同一であると定め給うた。彼等を認める者は神を認める者である。彼等の呼び声に耳を傾ける者は 神の声に耳を傾ける者であり、彼等の啓示の真理を証言する者は神そのものの真理を証言する者である。彼等より顔をそむける者は神より顔をそむける者であ り、彼等を信じない者は神を信じない者である。彼等のすべてはこの世と天界を結びつける神の道であり、天地の諸々の王国に在するすべての者にとって神の真 理の旗標である。彼等は人類間に於ける神の顕示者であり、神の真理の証拠、そして神の栄光のしるしである。○21

(24) XXIV

お お神の一体性を信ずる者等よ、神の大業の顕示者間に差別をつけようとする気を起したり、又は彼等の啓示に伴なって表わされたしるし間に区別をつけようとす る気を起さないように警戒せよ。これが実に神の一体性の真の意味である。もし汝等、この真理を理解し信ずる者等であれば…。その上、すべての神の顕示者の 各事業と行為は、いやそれのみか、彼等に関係のあるあらゆるもの及び彼等が未来に顕(あら)わすものはすべて神より定められたものであり、神の意志と目的の反映であることを確信せよ。彼等の人格、言葉、メッセージ、行為、作法間にわずかでも区別をつけようとする者は実に、神を信ぜず神のしるしを否認し神の使者の大業を裏切る者である。○24

(27) XXVII

神 の一体性に全賛美あれ全くの無より万物の実存を創造し、無より彼の創造のうち最も優雅で微妙な要素を存在にもたらし、神の創造物を遠く離れていることの屈 辱と究極の消滅の危機から援助し、神の清廉なる栄光の王国へと迎え入れ給うた卓越した主、比類なき全栄光の宇宙の支配者に全栄誉あれ。彼の全包含的な恩 恵、彼の全遍在の慈悲の他にこのような事業を完遂(かんすい)し得たものはない。もしこれらがなければ、単なる無が不在の状態より存在の領域へとあらわれ価値と能力を自ら獲得することなどどうして可能であったろうか?

神 はこの世とそこに住み動くあらゆるものを創造し、神の拘束されない卓越した御意により人間に神を知り愛する独特の特異性と能力―全創造の基礎をなす発生進 力、また主なる目的と見なされるべき能力―を与え給うた。すべての創造物の内奥の各実在に、神はその諸々の名の中のある一つの名の光を注ぎ、神の諸々の属 性のうちのある一つの属性の栄光を受け入れるものとなし給うた。

しかし乍(なが)ら、人間の実質には、神は神の諸々の名と諸々の属性のすべての光輝を集中し、人間の実質をして神自身の鏡となし給うたのである。全創造物のうち人間のみがそれ程偉大な恩恵、それ程不朽の恩寵(おんちょう)のために選び出されたのである。しかし乍(なが)ら、神の恩寵(おんちょう)の 昼の星と聖なる教導の源泉が人間の実質に与えたこのエネルギーは、炎がローソクの中に隠され、光がランプの中に潜在するように人間の中に潜在している。こ のエネルギーの光輝は、太陽の光が鏡を被うごみやちりの下に隠されるように世俗の欲望で被い隠されるかも知れない。ローソクもランプもそれ自体、何らかの 手助けなしには点され得ず、鏡も自らそのちりを取り除くことは決してできはしない。ランプは火を点される迄は決して燃えることはなく、鏡もその面よりちり を取り除かれなければ、太陽の映像を現わすこともその光と栄光を反映することもできないということは明々白々である。

唯一真実の神をその創造物に結びつける繋がりや直接の交りはあり得ない。また永遠なる絶対者と、はかない従属者の間にはなんらの類似点も存在し得ない。故に神は各時代、各時節において清廉潔白(せいれんけっぱく)な人物が地上天上の御国に出現することを定め給うた。

こ の不可思議で神秘的な、かつ霊妙な存在に対して神は二重の性格を割り当てられた。つまり物質界に関連する肉体的な性格と、神自身の実質から生じた精神的性 格である。神はまたこの存在に二重の地位を授けられた。その第一の地位は神の最も奥に潜む実質に関するものであり、彼等の声は神自身の声であることを意味 する。これを証言するために次のような伝承がある。「我の神との関係は多様で神秘的である。我は神自身であり、また神は我自身である。しかし我は我たるも のであり、神は神たるものである。」また同様に次の言葉がある。「おおモハメッドよ、立ち上れ、見よ、愛する者と愛される者が結びつけられ、汝の中に一つ になっている。」彼は同じく次のように言う、「汝と彼等との間には、彼等が汝の僕であるということ以外には全く差別はない」と。その第二の地位は人間とし ての地位であり、次の聖句で例えられる、「我は汝らのように人間にしかすぎない」「言挙げよ、わが主に誉れあれ。我は人間、使徒以上のものたるや。」これ ら世俗超脱の精髄であり、輝かしい真実である者達は、全てに行きわたる神の恩寵(おんちょう)の水路である。確かな指導の御光に導かれ、最上の主権を授かった彼等は、彼等の言葉が持つ霊感と注ぎ出る彼等の誤りのない恩寵(おんちょう)と、彼等の啓示の神聖な微風とをもって地上の煩労や限界から来る不用物や不純物を慕心と感受性を備えた全ての魂から取り除く任務を帯びている。

それができる時のみに、人間の実質に潜在する神への信頼は潜伏のヴェールの後ろより神の啓示という昇りくる太陽と同じ位の光輝をもってあきらかにされて、人間の心の頂きに明確なる栄光の旗を掲げるのである。

前述の章句や引喩より、天地の王国に於ては神性そのものなるあらゆるものを卓越した主の恩恵を伝達するために顕示者及び媒介者として行動する存在者、精髄が顕(あら)わされねばならないということが疑いの余地もなく明白にされた。この真理の昼の星の教えにより、すべての人間は心の内奥にある真の自身に与えられている潜在力をすべて顕(あら)わ し得る地位に達する迄進歩発展する。まさしくこの目的のためにあらゆる時代と宗教制に於て神の予言者等と、神より選ばれた人々が人間の間に現われ、神に よってのみ生まれでる非常な力と永遠なる者のみが表わし得る力強さとを示したのである。自分では意味を理解し得ない言葉をきいて、神の無限の教導の扉が人 々の面前で閉まるというようなことを健全の心意の持主が真剣に想像し得ようか?一体、人はこれ等の聖なる発光体、これ等のけんらんたる光にとって始めとか 終りを考えることができようか。いかなる洪水の流出が彼の全包含的な恩恵の流れに比較できるであろうか。これ程偉大で遍在する慈悲を表わす行動に、いかな る祝福がまざり得ようか。この世から一瞬間でも神の慈悲と恩恵の湖がさし引かれるならこの世は完全に滅亡してしまうことは疑いない。この理由により、始め なき始めより神の慈悲の戸は全創造物の眼前で大きく開かれ、そして真理の雲は終りなき終り迄人間の才能と実質と個性の土壌に恩恵と恩寵(おんちょう)を降らせ統けるであろう。これが永遠より永遠に続く神の方法である。○27

(29) XXIX

神が人間を造り給うた御目的は、人間にその創造主を知らしめ、神の御前に臨ませることであったし、未来永劫においてもそうである。天上の書物と、神が顕(あら)わ された壮重な聖典のすべては議論の余地なくこの最も崇高で至上の目的を証かしているのである。神の御導きの曙を是認し、その廷内に人って来た者は誰であ れ、神に近付き、その御前に到達できた者である。神の御前にあることこそは真の楽園であり、天国の最も崇美な邸もその象徴にすぎない。そして、そうした者 は、二矢の距離にある者、サドラトル・モンタハの向うに立ち給う者の地位を理解し得たのである。また、神の御導きの曙を是認し損った者は誰であれ、神との 遠隔の苦しみを自らに宣告することになるであろう。神から離れているそのことは地獄の烈火そのものであり、全くの無そのものに他ならない。これこそがその ような者の行き着く所となろう。例え見た目にはその者が地上の最も絢爛(けんらん)たる座を占め、最高の玉座に着いていようとも。

真理の曙である彼にとって、迷っている魂をこのような遠い隔りから救い、神の宮廷に彼らを引き寄せ、神の御前に到らしめることは充分可能である。「もし神が望みであったなら全ての人々を一つの民となし給うたにちがいない。」しかし乍(なが)ら、 彼の御目的は心の清らかな人と心の超脱した人が自らの生来の力によって最大の大洋の岸辺に昇りつくことを可能にすることである。それにより栄光に輝き給う 御方の美を探し求める者が、我まで強情なるものか区別され、分けられる。このように、栄光と光輝に輝くペンにより制定されているのである。

神の正義の顕示者、天上の恩寵(おんちょう)の曙が人々の間に現われた時は常に地上の主権を全く持たず、世俗的な権勢の手段を奪われているのであるが、そのことも神の御目的を活気づける区別と分類というこの同じ原則に帰するものである。もし永遠なる真髄(しんずい)が自らの内に潜むもの全てを顕示するならば、またもし彼が自分の栄光の全てをもって輝くならば、誰一人として彼のカを疑ったり彼の真理を拒んだりする者はないであろう。否むしろ、全ての創造物は彼の光の証拠により皆無そのものに零落(れいらく)する程までに幻惑させられ、驚嘆(きょうたん)させられるであろう。そしてそのような状況ならば、いかにして信仰厚き人々は強情な人々と区別されることができようか。

こ の原則は以前の各宗教制において実施され、数多くの実地教授がなされた・・。この理由により、いつの時代でも新しい顕示者が現われ、神の卓越した力の新た な啓示が人々に授けられた時には、神について誤った信念を持っている者は、類なき永劫の美が死すべき人間の姿で出現することに惑わされ、彼を認識し損っ た。彼等は彼の道からさまよい出て、彼の同行、つまり神の御側近くいることの象徴である彼の同行を避けたのである。彼等は信心深い人々を無数に殺し、また 彼を信じる人々を壊滅するために立ち上りさえした。

こ の宗教制において、価値の無い者や愚か者たちは、大虐殺や略奪、追放などのような手段で、神の御力の手によって点されたランプを消したり、永遠の輝きの昼 の星の光を覆い隠すことができると、なんと甘い想像をしていることか見よ。このような逆境は、このランプの炎を煽る油であるという真理に彼らは全く気付い ていないようであることよ。神の変換の力はこのようなものである。神は御意のままに変え給う。誠に神は全てのものに対して力を持ち給う・・・。

理想の王により採用された主権を常に熟考せよ。また神の御力と至上の影響力の証拠を見よ。否認の象徴であり、暴力と怒りの代表であるものらの空虚な話から汝の耳がいせんを清めよ。唯一、真なる神の御力が全創造物の上に凱旋し、神の主権の御徴(おんちょう)が森羅(しんら)万象(ばんしょう)をおおい包むことを汝らが目撃する時は近付きつつある。汝らはその日、神以外のものは全て忘れられ、皆無そのものとしてみなされるようになるということを発見するであろう。

しかし乍(なが)ら、神とその顕示者は彼ら固有の高貴と崇高さからはいかなる状況にあろうとも分離され得ないということを汝ら、心にとめておくべきである。否むしろ、高貴と崇高さ自体、神の御言葉の創造物なのである。汝らもし、自らの目でなく我の目にて見ることを選ぶならば。○29

(33) XXXIII

神の御言葉とその潜在力のすべては、全知者、全賢者なる神により前もって定められた条件と厳密に一致して人々に顕(あら)わされるように我は定めてきた。更に又、我はその隠蔽(いんぺい)の ヴエールは言葉そのものに他ならない事を定めた。これが、まさしく、我の目的を達する我の威力である。もし言葉のうちに潜むエネルギーのすべてが突然放出 されるならば、この非常に強大な啓示の重さに耐え得る者は一人も居ないであろう。いやそれ所か、天と地に在るすべてのものは、ろうばいして逃げ去るであろ う。

神の使徒なるモハメッドに下された事を熟考せよ。彼がもたらした啓示の程度は、全能者、いと力強き御方より前もって明白に定められたものである。しかし乍(なが)ら、 彼の言葉を聞いた者等はただ自らの地位と精神的能力の程度に応じてのみ彼の目的を理解し得た。彼も同様に、そのメッセージの重荷に耐え得る彼等の能力に比 例させて英知の顔を現わしたのである。人類が成熟の段階に達するやいなや、神の御言葉がその中に潜在的に賦与されているエネルギーを人々の眼に明らかにし た。即ち、このエネルギーは、六十年にアリ・モハメットなるバブの人の中に古来の美が現わされた時、完全な栄光をもって顕(あら)われた。○33

(34) XXXIV

そ の力の威力により創造物を無存在の裸より救い出し、生命のマントを着せ給うた神に全賛美と栄光あれ。神は特別の恩恵として全創造物の中より人間の持つ純粋 で宝石の様な本質を選び出し、神を知り、神の栄光の偉大さを反映し得る独特の能力を付与し給うた。人間に与えられたこの二重の特異性は、人間をして、あら ゆる空ろな欲望のさびを心より洗い流させ、創造主が人に着せ給う衣服にふさわしいものとならしめた。それは無知のみじめさより人の魂を救う役に立った。

人間の身体と魂を飾るこの衣服は、人間の健全と発展の基礎そのものである。お、唯一真実の神の恩恵と力に援助されて、人がこの世とその中のあらゆるものの束縛と腐敗から自らを解放し、知識の木の下陰で、真の永続する安穏(あんのん)に達する時は何と祝福された日であろうか!

友 等に対する偉大な愛から口にした汝の心の小鳥の歌が彼等の耳に達した。そして我は汝の質問に答え、あらわす事が許されている秘密を汝に明かす様に動かされ た。貴簡の中で、汝は神の予言者等のうちで誰がすぐれていると見なされるべきかとたずねた。すべての神の予言者の精髄は一つであり同じだということは確か なことと知るべきである。彼等の一体性は絶対的である。創造主なる神は云い給う―わがメッセージの伝達者間にはなんらの区別もない。彼等の目的はただ一つ である。彼等の秘密は同じ秘密である。或る一人に他の者等より好意を寄せたり、或る者等を他の者等より高める事は決して許されない。あらゆる真の予言者は 自分のメッセージを以前に現われた他のすべての予言者の啓示と基本的には同じであると見なした。それ故、もし誰かがこの真理を理解しそこない、空ろな見苦 しい言葉を勝手に口にしたとしても、視力が鋭敏で啓発された理解力を持つ者は、決してその様な無駄話によって自からの信仰をゆるがせるようなことはないで あろう。

しかし乍(なが)ら、 この世に於ける神の予言者等の啓示の程度は異ならなければならない。各々すべては別個のメッセージの伝達者であり、特定の行為により彼自身を明かす様に委 任された者である。この理由により、彼等の偉大さの程度が異る様に見えるのである。彼等の啓示は地上に輝きを注ぐ月光に似せられる。月は現われる度に新た な明るさを見せるけれども、その固有の光輝が減じる事もその光が消滅する事も決してないのである。

故 に、彼等の光の強さにみられる明らかな差異は、光そのものに固有なものではなく、むしろ絶えず変りつつある世の異った受容性に帰せられるべきである。全能 者、比肩なき創造主が地上の人間のために下し給うたすべての予言者は一つのメッセージを委任され、その現われた時代の要求に最も適した態度で行動する様に 命ぜられて来た。神が予言者等を下される目的は二重である。第一は、人の子等を無知の暗黒より解放し、真の理解の光に導くためである。第二は人類の平和と 平隠を保証し、それらが確立されるためのあらゆる手段を備えるためである。

神 の予言者は医師と見なされるべきで、その仕事は、和合の精神でこの世と人民の健全を促進する事により、分裂した人類の病をいやすことである。彼等の言葉に 疑いをはさんだり、彼等の行動を軽視したりする権利は誰にも与えられていない。何故なら彼等のみが患者を理解し、その疾病を正確に診断したと公言出来るか らである。知覚力がいかに鋭敏であろうとも神の医師が達した叡知(えいち)と 理解の高さに達する事は誰にも望み得ない。だから、もし医師によって処方される今日の治療法が以前に処方されたものと同一でない事がわかっても何ら驚くこ とはないのである。病人を冒している疾病がその進行の各段階に於て特別の治療法を必要とする時、どうしてその他の方法があり得ようか?同様に神の予言者等 は神の知識の昼の星のさん然と輝く光輝でこの世を照らした度毎に、彼等の現われた時代の緊急な情勢に最も適した手段を用いて神の光を信ずる様に常に人々を 召喚したのである。この様にして彼等は無知の暗闇を消散させ、彼等自身の知識の栄光を世に注ぐことができた。従って、あらゆる明敏なる人人の眼は、この予 言者等の最も奥深くにある精髄に向けられなければならない。と云うのは彼等の唯一の目的は常に、誤った人々を指導し、苦しむ人々に平安を与える事だったか らである。現代は繁栄と勝利の時代ではない。全人類は多種多様の疾病にとらわれている。それ故に、誤まらない医師の全能なる手により用意された有益な薬を 用いて人類の生命を救助する様に努力せよ。

さて、宗教の本質についての汝の質問に関して。真に賢明なる者等がこの世を人間の身体にたとえた事を知れ。人間の身体がそれに着せる衣服を必要とする様に、人類の身体も正義と叡知(えいち)の マントで必ず飾られなければならない。その衣は神によって与えられた啓示である。この衣がその目的を果した時には、いつでも全能者は必ずそれを更新し給う であろう。何故なら、あらゆる時代は新たな神の光を必要とするからである。神の啓示はすべてそれが現われた時代の環境に適する万法で下されて来た。

過 去の宗教の指導者等の言説に関する汝の質問について。賢明で賞賛に価する人は全て疑いもなく、その様な空虚で無益な話を避けるであろう。比類なき創造主は すべての人間を一つの同じ物質より創造し、その実在を他の創造物よりも高め給うた。それ故に成功と失敗、利得と損失は人間自身の努力に依らなければならな い。努力すればする程人の進歩は大である。我は、神の恩寵(おんちょう)の春雨が人間の心の土壌に真の理解の花を咲かせ、あらゆる俗世の汚辱を洗い流す様に切望する。○34

(38) XXXVIII

あ らゆる宗教制に於て、神の啓示の光は人々の精神的能力に直接比例して与えられたという事を確かに知れ。太陽について考慮せよ。水平線上に現われる瞬間の光 は微弱であるが、天頂に近付くに従ってそれは徐々にその暖みと力を増して行く。その間に、全創造物がその強まり行く光の強さに順応して行くことができるよ うに。そしてそれは、沈む地点に達するまで徐々に傾いて行く。もし太陽がその中に潜在するエネルギーを突然顕(あら)わ せば、それは疑いもなく全創造物を傷つける原因となるであろう…。同様に、真理の太陽がその顕現の初期に、全能者の摂理によって与えられた潜在力を突然、 完全に明かせば人間の理解という地球は消耗し尽してしまうであろう。何故なら、人間の心はその啓示の強さに耐える事も、その光の輝きを反映する事も出来な いであろうからである。彼等はろうばいし、圧倒されて息絶えるであろう。○38

(41) XLI

おお人々よ!神はわが証人なり!我が寝所に眠っていた時、見よ、神の微風が漂い来て我を眠りより覚ました。神の、生気を与える精神は我をよみ返らせ、わが舌は神の召集を声に出すために解かれた。神にそむいたといって我を非難するな。汝の眼ではなく、我の眼で我を見よ。恩寵(おんちょう)深 き者、全知者なる神はその様に忠告し給う。おお人々よ、神の究極の意志と目的を我が手中におさめていると思うのか?我は決してその様な主張を唱えはしな い。この事を我は全能者、高遠なる者、全知者、全賢者なる神の御前で証言する。神の信教の究極の運命がわが手中にあったとすれば、我は決して一瞬たりとも 我自身を汝等に顕(あら)わす事に同意しはしなかったし、わが唇より言葉の一つさえも漏れる事を許さなかったであろう。これについてはまことに神御白身が証人であり給う。○41

(43) XLIII

お おアフフナン(注、一)よ、我か古来の幹より分枝した者よ。我が栄光と慈愛は汝に向けられる。神の大業の幕屋はなんと広大であろうか。それは地上のあらゆ る国や民族を覆い包んでいる。そして、まもなく全人類はその庇護の下に結集されよう。汝の奉仕の日は今や来た。いかに大いなる恩寵が汝の上に注がれてきた かについては、無数の書簡が証言している。我が大業の勝利のために立ち上がり、汝の言葉の威力により人々の心を征服せよ。不幸な者、虐げられた者に安らぎ と安寧(あんねい)を保証するものを汝は身をもって示さなければならない。汝の努カを通じ、囚われの身にある者等が鎖から開放され、真の自由を得ることが できるよう精進せよ。この日、正義は苦境にあって嘆き、公正は圧制の頚木(くびき)の下でうめき声をあげている。暴虐の暗雲は地上より光をうばい、人々を 包んだ。しかし、全能なる命令者の指示に従い、我は我が栄光のペンの動きにより、あらゆる人体に新しい生命を吹き込み、すべての言葉に新たな威力を付与し た。この蘇生の波は全世界におよび、その証拠はあらゆる創造物に現われている。これこそがこの(注、二)虐げられし者のペンより人類に伝えられた最も偉大 で、最も喜ばしい吉報である。それ故、おお我が最愛の者等よ、何を恐れる必要があろうか。汝等を狼狽(ろうばい)させ得る者がどこにいようか。この邪な世 代の人々はかわいた粘土の土塊(つちくれ)にすぎず、それを溶かすには一滴の水で十分なのである。そして、汝等の集い合う行為だけでも、これら空虚で価値 のない人々の勢力を分散するに十分なのである……。この日、洞察力のある者は皆、次のことを容易に認めるであろう。つまり、この虐げられし者のペンによっ て著わされた忠告こそが、世界の進歩と、人類の高揚にとって最高の推進力となるものである。立ち上がれ、おお人々よ。そして、神の御力の威力により、自己 との格闘に勝利することを決意せよ。これが果たされるならば、人類、は自らの無益な幻想によって作り上げた偶像への隷属から開放され、聖別されよう。まこ とに、これらの偶像はその哀れな崇拝者たちに非常な損失を負わせ、彼等のみじめな境遇の原因となってきたのである。それらは完成への道を進もうと努力する 人間の行く手を阻んできた障害物なのである。神聖なる威力の御手が人類に暖助の手を差し伸べ、彼等をその嘆かわしい零落(れいらく)の状態より救い給うよ う、我は宿望する。我が書簡の一つに次のような言葉が記されている。おお、神の人々よ。私事に溺れるな。心を常に人類の繁栄の回復と、人々の心と魂を聖別 させるものに向けよ。このことを成し遂げるための最善の道は、純粋で清らかな行為、そして徳の高い生活と正しい振る舞いにある。この大業の勝利を保証する ものは勇敢な行動であり、その力を確固たらしめるものは聖人にふさわしい人格である。おお、バハの民よ、正義に愛着せよ。まことに、これはこの虐げられし 者が汝等に与えた法であり、その拘束されることのない意志が、汝等全員に第一に選定したものである。おお、友等よ。魂も奮い立つこの神聖なる春季にあっ て、慈悲深い恩恵が汝等の上に雨のように注がれている。この恩恵を通して、汝等は自らの魂を活気づけ、蘇生させなければならない。神の偉大なる栄光の昼の 星はその光輝を汝等に注ぎ、その限りない恩恵の雲は汝等を覆っている。この大いなる恩寵を逸せず、しかも新しい装いに身を包んだ最愛なる者の美を得た者の 報酬は、なんと高遠なものであろうか。汝等、用心せよ。邪悪な者が汝等をわなに陥れようと待ち伏せている。その悪意みなぎる策略を警戒し、すべてを見給う 神の御名の光に導かれて、汝等をとりまく暗黒より逃れよ。汝等の視野を汝等自身に限ることなく、むしろ全世界を包むものとなせ。邪悪な者とは、人の子の高 揚を妨げ、その精神的発展を妨害する者である。この日、あらゆる国家と公正な政府の利益を促進し、その地位を高揚させるものに執着しなければならない。こ のことは万人に課せられた義務である。最も高遠なる者のペンが著わした各々すべての聖句により、愛と和合の門戸は、その錠が解かれ、人類の面前に大きく開 け放たれた。過去に我は次のように宣言した、そして我が言葉は真理である。「親愛と友情の精神をもってあらゆる宗教の信者と交われ。」これらの言葉の啓示 によって、人の子が互いに忌避(きひ)し合うよう仕向け、彼等の間に不和と分裂をもたらしたものは、すべてことごとく破棄され、廃止されたのである。全人 類の教育にとって最も有効な手段が神の意志の天上より下されたのである。その目的は、存在の世界を高貴なものとなし、人々の心と魂を高揚することに他なら ない。昔日(せきじつ)の人々が語り、または書き記した事柄の至上の真髄と最も完全な表現がこの最強の啓示を通して、すべてを所有し、常に持続し給う神の 意志の天上より下されたのである。過去の時代には次のように記された。「自国への愛は、神の信教の基本的要素である。」しかし、荘厳なる舌はその出現の日 に次のように宣言した。「自国を愛するは自慢に値せず、真に誇るべきは、世界を愛する者である。」この崇高なる言葉によって、世に大いなる力が放たれた。 これを介して彼は、人類の心の鳥に新鮮な衝動を与え、新しい方向を定め、そして神の聖典より束縛と限定のあらゆる痕跡を抹消したのである。おお、正義の人 々よ。燃える藪(やぶ)にきらめく光のように輝かしく、その火炎のように壮麗であれ。汝等の愛の炎の光輝は、疑いもなく、地上の争い合う国や民族を融合 し、和合させるであろう。一方、敵意と憎悪の炎の激しさは、闘争と破滅の原因としかなり得ない。神が全創造物を神の敵の邪悪な策略より守り給うよう、我は 嘆願する。まことに神はすべてのものを支配し給う。唯一真実の神に賛美あれ。神の栄光に誉れあれ。神は、最も高遠なる者のペンを通じて、人類の心の扉の錠 を開け給うたのである。このペンによって啓示されたすべての聖句は、燦然(さんぜん)と輝く門戸である。そしてこの門戸は、清く敬度(けいけん)な生活 と、清純無垢(せいじゅんむく)な行ないの栄光を明かすものである。我より発した声明と教えは、決して特定の国のみに宛てられたものでも、特定の民族のみ を利するものでもない。この啓示によって下されたことは、全人類がそれをことごとく厳守しなければならない。そうしてこそ初めて、真の自由に達し得よう。 地球上は、すべて神の啓示のけんらんと輝く栄光に照らされている。六十年(注、三)には、神の教導の光の先駆者が立ち上がり、聖霊の新たな啓示を発布し た。すべての創造物が彼のために生命を捧げんことを。続いて、二十年後に現われた者により、この約束された栄光と、驚くべき恩恵が世界に授与された。見 よ、いかに人類の大半が、神の最も高遠なる御言葉に傾聴する能力を与えられているかを。人類の集合と精神的更生は、すべてこの御言葉に依存するのである。 おお、神の人々よ。真実無比の友の忠告に心を傾けよ。神の御言葉は人間の心に植えられた苗木にたとえられよう。この苗木がしっかりと根を下し、枝が天空と そのかなたまで高く伸びるよう、汝等は英知と聖別された清らかな言葉の活水をもって、その成長を育成しなければならない。おお、地上に住む人々よ。この最 大なる啓示の卓越性を明示するものはここにある。つまり、我は一方において、人の子等の争いの原因となり、悪意と危害のもととなるものを神の聖典の紙面よ りすべて消し去った、他方において我は、理解と調和、そして恒久にして完全な和合の必要条件を定め記したのである。我が法規を守る者は幸いなり。我が愛す る者等に対し、害毒の匂いが察知される事柄をすべて避けるよう、いや、むしろそれより逃れるよう、我は幾度も忠告してきた。世界は大いなる動乱にあり、世 の人々の心は完全な混乱状態にある。我はここに全能なる神に嘆願する。神よ、あなたの正義の御栄光により、この者等を御恩寵深く照らし給え。そして、彼等 がいつ、いかなる状況にあっても、彼等にとって有益な道を常に見いだすことができるよう援助し給え。まことに、神はすべてを所有し、最も高遠なる御方であ り給う。(43)

(注)一、枝の意味。バブの親族の称号である。この書簡はバブの伯に宛てられたものである。
二、 バハオラ御自身を指す。

三、 イスラム陰暦の一二六○年を示す。これは西暦一八四四年、バブの宣言の年に当たる。「二十年」後とは一八六三年、バハオラの宣言の年を指す。

(45) XLV

古 来の美が鎖で縛られることに同意したのは、人類がその束縛から放たれる様にするためであり、この最も強力なとりで内に囚人とされることを甘受したのは全世 界が真の自由に達する様にするためであった。地上のあらゆる人々が永続する喜びを得、喜悦で満たされる様にと、彼は悲哀の杯を飲みつくした。これは汝の主 なる憐れみ深き者、最も慈悲深き者の慈悲である。おお神の一体性を信ずる者等よ。我は汝等が高められる様にと、卑下される事を受け入れ、汝等が繁栄する様 にと、多様の苦悩に耐えた。全世界を再建するために到来した彼が、いかにして、神と提携した者等によって最も荒廃した都市の中に住む事を強いられたかを見 よ。○45

(46) XLVI

我 が投獄の重荷を我は嘆かない。また、敵の手がもたらした屈辱と辛苦も、我を悲しますことはない。我が命にかけて誓う。これらの苦しみは我が誉れであり、神 が自らを飾り給う栄光である。おお、汝等このことを知り得たならば。我に負わされた恥辱は、全創造物に付与された栄光を現わした。そして、我が耐え忍んだ 虐待を通じて正義の昼の星が出現し、その光輝を人類に注いだのである。我を悲しませるのは、腐敗した情欲におぼれながらも、御恩寵にあふれ、すべてに賛美 され給う神の信教の関係者として自らを名乗る者等である。楽園の住民がバハの人々の衣より高潔さの甘美な芳香を勾ぎ、地上の人々が彼等の顔に慈悲深き御方 の輝きを見出し、彼等を通じて全能にして、すべてを知り給う神のしるしと証跡が広く普及されるよう、バハの人々は、この世とそこに存在するすべてのものに 死し、あらゆる物質的事柄を超越しなければならい。世俗の事物にふけり、神の大業の令名を汚す者は、まさに非常な誤りにある。(46)

(49) IL

まことにこの若者は、自分自身に眼を向けるたびに、自分は全創造のうちで最も取るに足りないものである事を認めると云う事を知れ。しかし乍(なが)ら、自分が授けられた能力により顕(あら)わしている輝かしい光彩を熟視する時、見よ、自分自身が自分の眼前で、見えるものと見えざるものすべての精髄にしん透する主権の力に変貌する。真理の威力により御自身の顕示者を下し給い、全人類へのメッサージを彼に委任し給うた神に栄光あれ。○49

(50)L

お お、思慮なき者等よ。怠慢のまどろみを振りはらい、彼の栄光を通じて全世界を取り巻いた輝きを見よ。彼の光の誕生には、いまだ時期尚早と反対をささやく者 がある。何と愚かな者等であろうか。おお、盲目なる心を持つ者等よ。それが早すぎようと、遅すぎようと、現に今や彼の燦然(さんぜん)と輝く栄光の証拠は 顕わされたのである。その光が出現したかどうかを確かめるのが汝等に課せられた義務である。その出現の時刻を定めることは、汝等の力も我が力も及ぶところ ではない。その時刻は、神の測り知ることのできない英知によって、前もって定められたものである。おお、人々よ。神が汝等のために望み、運命づけ給うたこ とに満足せよ…。おお、我が不幸を願う者等よ。永遠の教導の昼の星こそ我が証人なり。もし我にその権限があったならば、我はいかなる状況のもとでも、決し て世に名を上げることに同意することはなかたであろう。何故なら、我の有する名は、汚れた舌と、偽りの心を持っこの世代の人々と係わることを全く蔑視する からである。そして、我が沈黙し、静止することを選ぶ時はいつも、見よ、我が右手に立つ聖霊の声が我を酵(さ)まし、我が面前に至上の聖霊が現われ、ガブ リェルが我が頭上を覆い、そして栄光の精神が我が胸の内にあって奮い立ち、我に起ち上がって沈黙を破るよう命じるのである。汝等が聴力を清め、耳をすます ならば、我が四肢のすべてが、否、我が存在のすべての原子が次の声明の言葉を宣言し、証言していることを必ず感知するであろう。「神をおいて他に神はな く、そして、今やその美が顕わされている者は、天と地にあるすべての者に向けられた神の栄光の反映である。」(50)

バハオラがアドリアノ―プから追放される日の朝著わされた書簡。この中でバハオラはトルコの首相アリ・パシャを厳しく告発されている

神の称号。旧約聖書・ダニエル書に見られる特有の呼び名
顕示者の意味。以下での「鏡達」、「曙達」、「聖なる神殿達」なども同じ意味。

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